――人間はどこから来たのか 人間は何者か 人間はどこに行くのか――。最先端の知見を有する学識者と“人間”について語り合う。
幸せとは何か、何が満たされれば人は幸せになれるのか。幸せのメカニズムを因子分析で解き明かす幸福学研究の第一人者、前野隆司氏に聞く。
今月のゲスト
前野隆司[武蔵野大学ウェルビーイング学部教授]
東京工業大学卒、同大学院修士課程修了。博士(工学)。キヤノン株式会社勤務、カリフォルニア大学バークレー校研究員、ハーバード大学客員教授、慶應義塾大学理工学部教授、同大学ウェルビーイングリサーチセンター長を経て、2024年4月より現職。研究分野はヒューマンマシンインターフェースから幸福学、感動学、教育学、共感学、イノベーション教育、コミュニティデザインなど。『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』(講談社現代新書)など著書多数。
萱野 前野さんは”幸せ”を科学的にとらえ、そのメカニズムを明らかにしようとする実践的な幸福研究の最先端にいるおひとりです。私の専門である哲学でも、幸福はアリストテレスの時代から論じられてきましたが、哲学における議論は観念的な「べき論」になりがちで、どうしても説教くさいものになってしまいます。これに対して前野さんは「どのような要因が人を幸福にしやすいのか」「幸せな人にはどのような傾向があるのか」といった、幸福の要因をめぐる問いを実態に即して研究されており、そこが大きな強みになっています。そこでまずおうかがいしたいのは、人を幸せにする要因そのものはどれくらいあるのか、ということです。
金があればあるほど人は幸せになる!?(写真/Getty Images)
前野 そうですね。数えればおそらく100はあるのではないでしょうか。
萱野 たとえばお金についてはどうでしょうか。お金はあればあるほど人は幸せになれる、と漠然と考えている人は多いと思います。では、幸福学ではどのように考えられているのでしょうか。
前野 ノーベル経済学賞を受賞した行動経済学者ダニエル・カーネマンの有名な研究があります。彼は「年収が上がれば幸福を感じる人は増えるが、金額が7万5000ドルを超えるとその効果は頭打ちになる」と主張しました。これは20年以上前の研究なので物価変動の影響を考慮すれば具体的な金額は変わってくると思いますが、いずれにせよ、年収はある一定の値を超えたら幸福度には影響しなくなると考えられてきました。一方で「収入が増えるほど幸福度は上がり続ける」という説もあり、2つの異なる見解が争っている状態が続いていたのですが、2023年にこの論争を終結させる論文が発表されたんです。その研究によると、もともと幸福度が低い人は年収が一定額を超えると幸福度も上がらなくなっていくのですが、逆にもとから幸福度が高い人は収入が増えるほど幸福度も上昇し続けるという統計的な分析結果が示されています。どちらであっても貧しいときはお金が幸福感に大きく寄与することは間違いないのですが、その効果は収入が増えるにつれて次第に小さくなる、いわゆる限界効用逓減の法則に従うようです。
萱野 たとえば年収が200万円から400万円に倍増すると幸福度も大きく上昇するのに対して、年収が2000万円から4000万円に倍増してもそこまでは幸福度は上昇しないということですね。いまのお話で興味深いのは、幸福の感じ方には個人差があるという点です。収入が増えるにつれて幸福度も上昇しやすい人と、年収が増えても幸福度が上昇しにくい人がいる。自分のことを幸せと感じられる人と、感じられない人の違いはどこにあるのでしょうか。