――21年に開催された東京五輪にて、公式で初となるトランスジェンダー選手が女子競技に出場したことが大々的に報じられた。感情的な批判の声なども多く見受けられたが、これまでも五輪は“男女”という枠組みをめぐるルール設計の問題に直面してきた。五輪の参加規定の歴史を追いながら、今後のスポーツのあり方を問い直す。
2021年の東京五輪にて、ウエイトリフティング女子87キロ超級に出場したローレル・ハバード選手。04年にトランスジェンダー選手の参加が承認されて以降、初めて性別変更を公表した選手として注目を集めた。(Photo by Chris Graythen/Getty Images)
近年の五輪をめぐっては、トランスジェンダー選手の出場がメディアを中心に大きく取りざたされた。21年の東京五輪では、ウエイトリフティング女子87キロ超級にトランス女性(出生時に割り当てられた性別は男性で、性自認が女性の人)であるローレル・ハバード選手、女子サッカーではトランスジェンダーでノンバイナリー(男女いずれでもない性自認)のクィン選手、スケートボードでノンバイナリーのアラーナ・スミス選手が出場。いずれもトランスジェンダーを公表して初めて五輪に出場したオリンピアンとして歴史に名を残すこととなった。しかし、特にトランス女性であるローレル・ハバード選手は、同時に「女子競技に出場することは不公平だ」といった激しいバックラッシュの声に晒された。
東京五輪ではLGBTQを公表する選手が過去最多となる160人超という報道がなされ、その多様性が評価される一方で、性的指向と異なり、性別移行後の身体を伴う、特にトランス女性の選手は一部から批判の矢面に立たされた。東京五輪後には、世界陸連や世界水泳連盟、国際自転車競技連合は女子カテゴリーでの競技会出場の要件を引き上げることで、トランス女性の選手を実質的に排除(23年に重量挙げもルールを変更した)。2024年のパリ五輪では陸上、水泳、自転車競技においてトランス女性選手の出場は難しい状況にある。
(絵/管 弘志)
まずは過去を振り返りながら、これまで五輪が“男女”という性別の枠組みをどのように扱ってきたのか、その歴史を見ていこう。
トランスジェンダー選手の五輪参加の歴史を振り返る前に、五輪におけるDSD(性分化疾患)の選手に対する扱いを取り上げる。DSDとは、性染色体や内性器、外性器、性腺などが典型的な男/女と異なる先天的な疾患であり、インターセックスとも呼ばれている。
『〈体育会系女子〉のポリティクス―身体・ジェンダー・セクシュアリティ』(関西大学出版部)といった著書を持ち、トランスジェンダーのスポーツ参加について研究する関西大学文学部准教授の井谷聡子氏によれば、スポーツの国際大会において初めて性別確認検査が導入されたのは1936年のベルリン五輪だという。ただし、この時点での性別確認検査は非公式であり、IOCが全女子アスリートを対象に公式なルールとして導入したのは68年メキシコシティー五輪とされている。井谷氏は、この背景を次のように説明する。
「性別確認検査が導入された背景としては、大きく2つの観点が指摘されています。まず、28年のアムステルダム五輪で初めて陸上競技への女性の出場が認められるなど、20〜30年代にこれまで排除されていたスポーツ競技に女性が参加するようになりました。すると筋肉質な女性が出場した際に、『男性が女性のフリをしているのでは?』という疑いの目線が、主に男性側から生じ始めたのです。
国際陸上競技連盟副会長や第5代IOC会長を務めたアヴェリー・ブランデージ(写真中央)。公式/非公式問わず、性別確認検査の導入はいずれもブランデージが要職に就いていた時期に始まっており、彼が同検査制度を推し進めたといわれている。(Photo by Keystone/Hulton Archive/Getty Images)
もうひとつの流れとして、この頃から今日でいうDSDやトランスジェンダーの存在が徐々に社会で認知されるようになりました。スポーツにおいても、男女二元論では切り分けて理解できない存在が明らかとなってきたことで、それを見咎めたスポーツ組織のトップたちが性別確認検査を導入したといわれています。
特に大きな影響を及ぼしたのが、30年に国際陸上競技連盟(当時)副会長を務め、52年から72年にかけて第5代IOC会長となったアヴェリー・ブランデージです。国際陸連やIOCの要職を務めてIOCの医事委員会にも多大な影響力を持っていたブランデージは、筋骨隆々とした女性に対する疑いの目を強く持っていたため、性別確認検査の導入を強く推し進めました」
68年以降、性別確認検査は五輪に正式導入されることとなるが、導入直後の検査方法は外性器の目視といった形式であったため、アスリートらからの批判を受けて、性染色体検査や遺伝子検査へと移り変わってきた。しかし、いずれの検査方法もその精度や(DSDと判定されたとしても)スポーツ上の優位性が証明できない中で排除されるケースがあるとして、医学会からは問題視する声も上がっている。全女子選手を対象とした性別確認検査は2000年のシドニー五輪で廃止されたが、一部の“疑わしき”選手に対しては依然として行われているのが実情だ。
11年以降、IOCと世界陸連は女性アスリートの出場資格の基準として、男性ホルモンであるテストステロンの値に上限を設ける「高アンドロゲン症規定」を導入。しかし、同規定においてはこれまで、女子陸上選手であるデュティ・チャンドやキャスター・セメンヤらが国際大会への出場を制限されるケースも発生しており、その妥当性は今なお問われている。
また、井谷氏は性別確認検査のターゲットとなる女性選手の多くがアフリカ系などのグローバルサウスの選手であるといった実情を受けて、人種差別や人権侵害といった点からも是正の必要があると指摘する。
ここまで駆け足ながら性別確認検査の変遷を見てきたが、五輪におけるトランスジェンダー選手の出場は04年アテネ五輪から一定条件下で承認されることとなった。その条件とは「性別適合手術を受けていること」「法的に性別移行が認められていること」「ホルモン療法を2年以上続けていること」だった。しかし、性別適合手術要件は外性器や生殖腺の切除といった不妊化手術を前提としていたため、人権侵害であるという批判が起こり、16年には参加規定の改定・規定緩和がなされた。
その結果、トランス男性(FtM)の選手は、アンチ・ドーピングの観点から治療目的での男性ホルモン使用に関する「TUE(治療使用特例)」の条件を満たしていれば、男性として出場することが可能となった。一方、トランス女性(MtF)の選手に対しては、「性自認の宣言(ただし、宣言後から4年は性別変更ができない)」と「出場前の1年間、および競技期間中のテストステロン値が10nmol(ナノモル/L以下」という参加規定が設けられた。これが現在のIOCが掲げるトランスジェンダー選手の参加条件となっている。そして、冒頭で紹介したように、21年にこの要件を満たす形でトランス女性であるローレル・ハバード選手が東京五輪への出場を果たした。
(なお、日本では04年に戸籍上の性別を変更する「性同一性障害特例法」が施行。23年、日本の最高裁は性別変更要件のひとつであった生殖不能要件に対する違憲判決を出すなど、トランスジェンダーをめぐるスポーツの参加規定と社会的な動きが呼応していることは留意しておきたい)