サイゾーpremium  > 特集  > スポーツ  > 五輪で渦巻いた数々の【黒いカネ】
第1特集
300万円の絵画、整形手術代、散弾銃を賄賂に……!

腐敗しきったIOCと招致都市の接待攻勢

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――「アマチュアリズム」はとうに失われ、五輪がカネになる一大イベントと化してから、今年で40年がたった。今ではその金脈にあやかろうと、いくつもの都市が開催地に名乗り出ては、関係者に賄賂を渡すことが定番となっている。いつまで、この疑獄は続くのだろうか?

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(絵/管 弘志)

「TOKYO!」――2013年の国際オリンピック委員会(IOC)総会で、ジャック・ロゲ会長(当時)が高らかに発表したときの狂騒ぶりはどこへやら。新型コロナウイルスの流行により大会は延期され、さらには無観客開催……。極限状況の中で立派に戦い抜いた選手たちには申し訳ないが、先の東京五輪は多くの日本国民にとって、半ば「黒歴史」と化している。

そして、そんなムードに追い打ちをかけているのが、大会組織委員会の元理事・高橋治之被告らを中心とした一連の汚職事件である。

大会組織委員会とスポンサー企業の癒着はもはや風物詩にすら思えるが、そもそもどうしてそうなったのか? 本稿では、「平和の祭典」だった五輪が「カネと利権まみれの祭典」へと変貌するに至った歴史を振り返りたい。

開催すれば赤字確定! 立候補する都市が激減

五輪が商業化に向けて舵を切ったターニングポイントは、1984年のロサンゼルス五輪というのは有名な話。その一方で『オリンピックと商業主義』や『東京オリンピック『問題』の核心は何か』(共に集英社新書)などの著書がある、スポーツライターの小川勝氏は、違った視点で当時を振り返る。

「考えてもらいたいのは『どうして、ロサンゼルスに決まったのか?』ということです。というのも、同市での開催が決まったのは78年のことなのですが、その2年前にはコロラド州のデンバーで冬季五輪の開催が予定されていました。しかし、70年の開催決定後に市の税金を五輪に投じることの賛否を問う住民投票が行われ、『開催するのであれば自治体の税金は使うな』という反対意見が上回ります。当然、自治体だけではなく、民間企業も絡んでいましたが、税金を投じることができないなら、開催は不可能という結論となって、デンバーは72年に五輪を返上したのです。なおかつ、76年に開催されたモントリオール夏季五輪は、大会後に大赤字となってしまい、同市は借金返済のため、税金を上げざるを得ませんでした。こうした理由から、立候補する都市が激減してしまったのです」

まさに、「五輪消滅の危機」だったわけである。同氏は続ける。

「そんな中、84年の(夏季)五輪に立候補したのはロサンゼルスと、イランのテヘランの2都市だけで、後者は途中で招致活動から降りてしまいました。つまり、ロサンゼルスで開催するしか道はなかったのです。もはや、招致競争どころではなく、同市が降りてしまえば、五輪が開催できないような状況。また、それまでは五輪を開催するにあたり、費用の一部は地元の税金で補填することが当たり前でしたが、一連の流れを受けて、ロサンゼルスも税金を投じることができません。そこで、同市は『税金は投じられない』という前提で立候補。IOCもそれに納得するしかありませんでした」

 それでは、開催費用をどうやって工面したのだろうか?

「ロサンゼルスはピーター・ユベロスというビジネスマンを大会組織委員長に据えて、民間企業だけで運営することにしたのです。そんな五輪は、これまでやったことがありません。しかし、ユベロスは企業における五輪の価値を見直し、1業種1企業に絞ったスポンサー協賛金制度を導入し、テレビの放映権料も大幅にアップさせました。同時に彼は『節約』も心がけました。新たな競技場は建設せず、メインスタジアムも32年のときのものを改装し、夏休みで学生たちがいなくなった大学の学生寮を選手村にしたのです。その結果、ロサンゼルス五輪の収支は大幅な黒字になりました。そして、同大会の成功を受けて『五輪を開催すれば民間企業がお金を出してくれてもうかるんだ!』ということがわかり、そこからは開催地として立候補する都市が一気に増えていき、同時に接待攻勢も始まります」

五輪の「商品価値」が見直されたことにより、当時IOC会長だったフアン・アントニオ・サマランチは、88年ソウル五輪から商業化路線を加速させる。

ただ、この商業主義は負の側面だけではないという。『スポーツとは何か』(講談社現代新書)や『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』(春陽堂書店)などの著作がある、スポーツ文化評論家の玉木正之氏は、こう語る。

「80年のモスクワ五輪は、ジミー・カーター大統領がソ連(現・ロシア)のアフガニスタン侵攻を非難し、ボイコットを呼びかけたことで、政治的な意味合いを帯びてしまいました。そしてロサンゼルス五輪を商業化したことで、後続の開催国もその路線を追随することになります。同時にIOCも商業化によって、カネによる力を蓄え、政治的な横やりを阻止できる体制作りに走りました。例えば、22年の北京冬季五輪・パラリンピックの期間中。ロシアがウクライナ侵攻を開始したため、パラリンピックにはRPC(ロシアパラリンピック委員会)とベラルーシ代表の出場を認めませんでした。商業化というバックボーンがなければ、ここまで強い制裁は下せなかったかもしれません。私は以前、商業主義路線を強めたサマランチ会長にインタビューしたことがあるのですが、『あなたのやっていることは商業主義では?』と質問したところ、彼から『コマーシャリズム(商業主義)と言われても構わない。君は五輪を昔の貴族趣味(アマチュアリズム)に戻したいのか?』と言い返されました」

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