――ビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地
[今月のゲスト]
田内 学(たうち・まなぶ)
[金融教育家、元ゴールドマン・サックス金利トレーダー]
1978年、兵庫県生まれ。2001年、東京大学工学部卒業。03年、同大学院情報理工学系研究科修士課程修了。同年ゴールドマン・サックス証券入社。金利トレーダーを経て19年退職。近著に『きみのお金は誰のため ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」』(東洋経済新報社)など。
岸田政権は11月2日、「デフレ完全脱却のための総合経済対策」を閣議決定した。総額で17兆円に上る大型な景気・貧困対策パッケージだ。だが、岸田政権の経済対策は間違っていると金融教育家で元ゴールドマン・サックス金利トレーダーの田内学氏は語る。お金の本質とは一体何なのか? 現政権の経済対策に欠けている視点はどのようなものか――。
神保 今回は、ビデオニュース・ドットコムでは『経世済民オイコノミア』の司会者としておなじみの田内学さんをゲストに迎えてお送りします。元ゴールドマン・サックス金利トレーダーで、現在は金融教育家の田内さんが10月に上梓された小説『きみのお金は誰のため ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」』(東洋経済新報社)はベストセラーとなり、話題を呼んでいます。
岸田総理が打ち出した「デフレ完全脱却のための総合経済対策」に期待はできないのか?(写真/Getty Images)
まずは岸田政権が11月2日に閣議決定した「デフレ完全脱却のための総合経済対策」について、田内さんに評価していただきたい。「物価高対策」「持続的な賃上げ」「国内投資促進」「人口減少対策」「国土強靭化」という5項目の中身が具体的に語られました。
田内 言いたいことは山ほどあり、そもそも「デフレ脱却」とありますが、物価に関しては完全にインフレです。物価が上がったらその分賃金は上がるもので、「上がっていないのはちゃんと労働者に分配してないからだ」という話になっていますが、問題はそんなことではない。日本はいろいろと海外に頼っており、ガソリンや食用小麦粉は価格調整をしています。そのお金は外国にどんどん流れていく。自給率を上げられないのであれば、代わりに付加価値の高い製品を作って買ってもらわなければなりませんが、円安にもかかわらず輸出は伸びておらず、これをどうにかしなければ国富は流出していくばかりなんです。
宮台 同じ物を買うにしても、支払いが国内の人や会社である場合と国外の人や会社である場合には、帰結にかなり違いが出てきますね。国内に払えばそのお金は国内で回りますが、外に出てしまうと、そのお金を使っていろんな物を買ったり売ったり投資したりするのは海外の人だから、こちら側にはもう回ってこない。「買うんだったら中でも外でも一緒でしょ」というのは違うということです。
神保 自給率が10%しかないエネルギーもそうですが、食料自給率(カロリーベース)も日本は38%と、先進国では最低水準です。日本以外の先進国では比較的低いのがイギリスの60%台で、カナダやオーストラリア、フランス、アメリカの食料自給率は100%を超えています。つまり食料輸出国だということです。また、日本の場合、国産の野菜や肉も、肥料や飼料をほぼ輸入に頼っているため、国際市場で肥料や飼料の価格が上がったり円が安くなってしまうと、立ちどころにそれが消費者物価に反映されてしまいます。しかも世界で圧倒的な肥料・飼料大国が、現在西側の一員として日本が制裁を加えているロシアだったりします。
物価については、日銀は2%の上昇率を目指すと言っていますが、今やインフレ率は2%台後半まで上がってきています。にもかかわらず、岸田首相を含め、政府が依然として「デフレ脱却」を叫んでいるのは、どう理解したらいいのでしょうか。
田内 そもそもなぜインフレを目指していたかというと、インフレになって物価が上がったら当然、給料も上がると想定されていたからです。ところが、コストプッシュ・インフレなどと言われますが、物価が上がっても全部海外から買ってくるものなので、自分たちのお金は増えていない。非常に問題なのは、これだけ円安になっても日本製品が売れていないこと。貿易収支はニュースなどではプラス624億円の黒字だと言うのですが、季節調整をするとまだマイナス4341億円。1ドル150円になって日本の物が安くなっても、魅力的な物がないから買われていないんです。
もちろん金利差があって貿易以外の投資のお金が流れているというのはありますが、投資のお金は結局アメリカに流れたところで、いつかは返ってきます。ところが貿易で物を買ったお金は、ドルに換金してドルで払っているので、出ていってしまって戻らないという状態です。
神保 今週(収録公開は11月4日)は日銀の政策決定会合があり、植田和男総裁は会合後の記者会見で、これまで長期金利の上限が厳格に1%だったものを「1%メド」に緩めるかのような発言をしています。これは一応、政策転換が図られたということなのでしょうか。
田内 今まで抑えつけているということ自体がよくなかったから、それをまともな状況にしましょうということです。金利を低くすれば設備投資に回るなど、さまざまな効果があると期待していました。しかしそうはならず、不動産投資などに使われたり、収益性のないビジネスの延命に使われたりという問題があった。物価と賃金がどんな関係なのか、ということを考えなければいけません。
100年ぐらい前にさかのぼって、物価と賃金がどう変わったかという話をするとよくわかります。夏目漱石の小説でも給料が「月200円」などと出てきますが、100年前の1円が今の価値だといくらになるかは、何の価格を見るかで違ってきます。この100年間で給料は7400倍です。その意味では、当時の1円は今の7400円。しかし、購買力的に物の価格はどうなっているかというと、食費は3500倍で、例えば砂糖は300倍くらいにしかなっていません。つまり当時に比べると、砂糖は1/25の価格で、とても安くなっていると捉えられる。
これは何を意味しているかというと、昔は砂糖は簡単に作れなくて人手がかかりましたが、工場ができたり大量生産するようになって、1/25の人手で作れるようになったということです。それに対して食堂のカレーはそんなに変わらない。材料は変わったけど結局人手はかかるわけなので、むしろ理髪代などは上がっています。
神保 人が絡むものは安くならないんですね。
田内 関連してよく出てくるのは、仕事がなくなってしまう、チャットGPTに仕事を奪われてしまうという話です。しかし人手が余るからこそ、そういう人たちが新しく別のことにチャレンジできる。社会のほかの問題を解決しようという人たちが出てきて、それがまた新しい商品を生み出していくということが、生活の豊かさにつながっていきます。それが「自分たちの仕事を守らなきゃいけない」という話になってしまっている。
世界では、25年前に比べて“余っている”人たちがiPhoneを作ったりNetflixを作ったりしている。日本にも新しい挑戦をしている人はいるものの、海外に比べて遅く、かつ新しい挑戦をするために「投資してもらう人間になれ」という教育ではなくて、「投資をしろ、お金を出す側になれ」という話しかされていない。これは本当にまずくないでしょうか。
神保 特に若者は、人生の中で最も自分自身に投資しなければならない時に、なぜ他人に投資して稼ごうという発想になってしまうのでしょうか。GDP(国内総生産)の総量が今年ドイツに抜かれ、日本が世界第4位に転落したことがニュースになりました。より重要なことは単純な順位ではなく、ドイツの人口が日本の3分の2くらいしかないのに、総量でも負け始めたということです。これは1人当たりGDPで、日本人はドイツ人の3分の2以下しか生産できていないことを意味しています。