――昨今、トランスジェンダーを含LGBTQなどのジェンダー平等を訴える運動、あるいは第4波といわれるフェミニズムに対して、ネット上ではバッシングがはびこっている。なぜこうした“社会的弱者”に対するヘイト言説が世にあふれてしまうのだろうか?
トランスジェンダーの連帯や人権を示す「トランスジェンダー・プライド・フラッグ」は、男の子の色(ライトブルー)、女の子の色(ピンク)、そしてジェンダー移行中やノンバイナリーなどのホワイトの三色で構成されている。(写真/Michael Siluk/UCG/Universal Images Group via Getty Images)
本特集の記事「トランスジェンダー問題はなぜLGBT法案により紛糾するのか」では、近年ネットを中心に紛糾している“トランスジェンダーのトイレ問題”から、トイレ問題に焦点を当てること自体がトランスジェンダーをめぐる議論を矮小化していると指摘した。そこでは、その背後に横たわるシスジェンダー、マジョリティによって設計された性別二元論に基づいた社会への問い直しや、トランスの人々が実際に抱えている困難へと向き合う必要性が説かれている。
それでも、トランスジェンダーに対する偏見に基づいたヘイトの声は根強く、トランスジェンダーを含むLGBTQといったジェンダー平等を目指した運動、あるいは#MeToo運動が牽引した第4波フェミニズムに対して、SNSを筆頭にネットや現実を問わず、いわば“社会的弱者”へのバッシングが蔓延している。それらが偏見や差別であることは明白なのにもかかわらず、ヘイトに満ちた反応が噴出してしまう理由を探ろう。
「人々が差別を引き起こす背景にはさまざまな要因がありますが、その中でも今のLGBTQに対する偏見の根っこには『存在脅威』や『感染脅威』といった要因が挙げられます。感染脅威については80年代のHIV問題が如実だったように、当時アブノーマルとされていた性行為によって病気が広まっているとして、人々は生理的な嫌悪感を持つことになりました。現在の『女性と称した男性が風呂に入ってくるのではないか』といったデマも、直感的な嫌悪を引き起こすことで、実態のない偏見に基づいて多くの人に忌避感を抱かせています」
こう語るのは、書籍『偏見や差別はなぜ起こる?』(ちとせプレス)の編著者である東洋大学社会学部教授の北村英哉氏だ。まず北村氏は、性行為自体が常に病気への感染のリスクをはらんでいるためタブー視されやすいと指摘する。80年代のHIV問題をめぐっては、ゲイ男性が批判の矢面に立たされ、苛烈な差別を生んだ。当然ながらHIVはゲイ男性だけの問題ではなく、その認識は時代を経ることで多少なりとも是正されていったものの、近年広がりを見せ始めるMpox(旧称:サル痘)をめぐっては今もなお正しい知識に基づかない偏見の声が聞かれることもある。ジェンダー問題は必然的に“性”をめぐる議論として展開されやすく、性別二元論や家父長制の価値観に基づいた社会では人々に直感的、あるいは生理的な嫌悪感を抱かせやすい。
書籍『トランスジェンダー問題 議論は正義のために』(明石書店)の訳者である高井ゆと里氏は、次のように話す。
「トランスの人々が本当に困っていることは、学校や職場から排斥されることによって生じる貧困や、シスジェンダー社会の中での抑圧によるメンタルヘルスの悪化など、多岐にわたっています。本来、“トランスの人々とトイレの問題”を議論するのであれば、『トイレからトランスが排除されていること』について話し合うべきです。実際に私は、利用できるトイレがないから学校や職場に通うことができずドロップアウトしてしまったトランスの友人を何人も知っています。
それでも人々がトランス女性を女性トイレにやってくる侵略者として捉えてしまいがちなのは、やはりそれが性に関するトピックだからでしょう。人間は性に対して自分の思考を冷静に整理することが苦手で、不安や感情をむやみに掻き立てられてしまうのです」
高井氏はその一例として、00年代の男女共同参画の中でバックラッシュ言説として「ジェンダーフリーが進行すれば、男女同衾や同室での着替えに結びつく」といった馬鹿げた主張が声高に叫ばれていたことを挙げる。
性にまつわるトピックが嫌悪感を引き起こすことで、現在のトランスジェンダーをめぐる議論に見られるようなモラルパニックが発生してしまう。『トランスジェンダー問題』によれば、モラルパニックが引き起こされる5つの特徴としては「懸念」「敵意」「合意」「不均衡」「激高」が挙げられる(社会学者のエリック・ゴードとナハマン・ベンイェフダが提唱)。トイレのデマなどが流布されることによって、人々はトランスの人々に対して「懸念」や「敵意」を抱き、社会にとっての脅威だと「合意」がなされ、当事者の実際の要望に反して「不均衡」な脅威として強調され、「激高」するようになっている。
また、続けて『トランスジェンダー問題』の著者ショーン・フェイ氏は、社会学者のスタンリー・コーエンを援用しながら、批判者がトランスの人々を「人民の敵」と見なすための手段として、「ステレオタイプ化」と「誇張」、そして「集団の振る舞いについての予言」という3つの要素を指摘。つまり、実際には多様な存在であるトランスの人々をステレオタイプ化した上でその存在を誇張し、例えば「公衆浴場で『女だ』と自称すれば誰でも女性風呂に入れて、断れば差別として訴えられる世界が来る」といったあからさまなデマを喧伝する。こうしたモラルパニックや「人民の敵」認定といった要素は、現在進行形の“トランスジェンダー問題”にそのまま見いだすことができるだろう。
このように、特にLGBTQに対する偏見や差別は生理的、直感的嫌悪感に端を発して駆動していくことが多い。
「人々の『なんとなく嫌だ、生理的に受け付けない』という生理感覚自体は、頭から否定されるべきではありません。しかし、そうした直感的な恐怖や嫌悪感を正確な知識や理解で上手にコントロールしていくことこそが、現代社会における文明人のあるべき姿だと思います。ところが、日本では学校教育を通じてLGBTQやジェンダー、また性にまつわる感染症に関する正しい理解を学ぶ機会はほとんどありません。欧米と比較すると、一般の人々の性やジェンダーに関する知識に雲泥の差がある。ジェンダーセクシュアリティの問題をノーマル/アブノーマルの問題として捉えていて、そこから生じる思い込みや偏見が非常に強いといえます」(北村氏)