――先日開業した東急歌舞伎町タワーのジェンダーレストイレが話題になったように、トランスジェンダーをめぐる問題がさまざまに取り沙汰されている。だが、専門家はトイレの問題を糸口にLGBTの問題を議論するのは適切ではないと指摘する。それでは、本質的な議論はどのように行うべきだろうか。
4月14日、鳴り物入りで開業した東急歌舞伎町タワー。高さ225メートル、地上48階のビルに映画館や劇場、ライブホールを擁した、新宿歌舞伎町の新しいシンボルとして注目を集めるはずだったが、いざオープンすると、もっとも注目を集めたのは2階にあるジェンダーレストイレをめぐる問題だった。
5月初旬に撮影した東急歌舞伎町タワーにあるジェンダーレストイレ。
屋台風の飲食店が集まる2階フロアのトイレが「ジェンダーレストイレ」とされ、「男性用・女性用・ジェンダーレス・多目的」の個室が同じ空間に並んでいるのだ(現在は改修され仕切りが設置)。結果、トイレの個室から出てきた女性と男性が同じ空間に居合わせることになり「安心して使えない」という声が続出。さらには、よからぬ行為に及んでいた人たちがいたなどという報道もあり、物議を醸した。
実際に訪れると、騒動を受けてか入口付近には警備員が配置されており、「ジェンダーレストイレについて」という貼り紙が。そこには、「ジェンダーレストイレは、性別に関係なく利用できるトイレです。ジェンダーレストイレは、国連の持続可能な開発目標(SDGs)の理念でもある『誰一人取り残さない』ことに配慮し、新宿歌舞伎町の多様性を許容する街づくりから、設置導入いたしました」と書かれていた。確かに男女で明確に分かれていないトイレはトランスジェンダーの人にとっては使いやすいのかもしれないが……それでは歌舞伎町タワーのトイレは何が問題だったのだろうか。
一方、外に目を向ければ、性的少数者への理解を広めるための「LGBT理解増進法案」をめぐって、LGBTの人たちに対するさまざまな意見がネットでは飛び交っている。今回はセクシュアリティに関する特集ということで、本記事でも改めてLGBT、特にトランスジェンダー問題の根幹について考えてみたい。
「トランスジェンダーの問題を取り上げるにあたって、トイレの話題から入るのは、問題を矮小化しているようで、当事者の方たちからすると困惑させられるでしょうね。それよりも、私はトランスジェンダーの問題は、シスジェンダー社会、つまり男女二元論に基づいて設計されてきた社会の前提を問わない人たちの意識が問題の根底にある思っています。トイレ問題のようなトランスジェンダーについての正確な知識を持たず、また実態を把握せずに、特定のトピックに焦点を合わせて議論しようとする風潮こそ、問題な気がします」
こう苦言を呈するのは東京造形大学などで教鞭に立ち、ジェンダー問題に造詣の深い小林美香氏。同氏が続ける。
「特に歌舞伎町タワーは、歌舞伎町という日本最大の歓楽街で、売春の交渉が行われていることが取りざたされる大久保公園が近隣にある土地柄なのですから、ケースが特殊すぎます。歌舞伎町タワーの事例を基準にトランスジェンダーについて議論しろというのは、その時点ですでに偏見が混ざっていると感じざるを得ません」
小林氏によると、シスジェンダー社会、つまり性別が男女の2種類に明確に峻別され様々な制度・規範・公共空間が構築されている社会は、実は人類に普遍的なものではなく、西欧社会が産業化・植民地主義を推し進める過程で確立されたものであるという。例えば、インドでは「ヒジュラ」という、男性でも女性でもない性別が古くから認められており、アメリカ先住民には男性、女性のほかに、「two spirit male」(2つの精神を持つ男性)、「two spirit female」(2つの精神を持つ女性)、「transgender」(肉体と精神の性が別である存在」の5つの性があるとされてきたという。
「ネイティブアメリカンにはそのような多様な性の文化があったのに、ヨーロッパの植民地主義が入ってくることで性の文化は否定されます。男女が明確に分かれているほうが優れた文明的な文化であるという考え方が歴史的に構築されていったのです」(小林氏)
つまり、私たちが昔から普遍的で変わらないものと思っていたシスジェンダー社会は、実はつくられたものだったのだ。
『歴史の中の多様な『性』――日本とアジア 変幻するセクシュアリティ』(岩波書店)などの著書があり、性社会・文化史研究者の三橋順子氏はこう語る。
「まず整理しておきたいのは、LGBTのうち、男性と女性どちらのトイレに入るかという悩みがあるのは、T(トランスジェンダー)の人たちだけであるということです。G(ゲイ)は男性トイレに、L(レズビアン)は女性トイレに入ります。B(バイセクシュアル=両性愛者)も、それぞれに割り当てられている性別のトイレに入れば問題ありません。T(トランスジェンダー=生まれた時に割り当てられた性とは別の性で生活する人)だけが、どちらのトイレに入ればいいかという悩みを持っていることになります」
そうは言いながら、三橋氏は、現在でも、見た目がまったく女性にしか見えないトランス女性(生まれた時には男性を割り当てられたが、その後女性としての生活を選んだ人)は、女子トイレを使っていると思われるが、なにも問題にならないので、それを確認するすべはないと言う。それ以外の「トランス女性なのでは」と気付かれてしまうリスクを回避する人の多くは、多目的トイレを使っているとも三橋氏は解説する。三橋氏自身もトランス女性であるが、「私は外出先では多目的トイレを使います。街のどこに多目的トイレがあるかはしっかり把握しています」と言う。その上で、三橋氏は以下のように付け加える。
「トイレの設計には防犯という観点が重要で、性暴力の加害者になるよりも被害者になるケースが圧倒的に多いトランス女性にとっては、歌舞伎町タワーのトイレの設計には不安を覚えます。トランス女性の多くはジェンダーレストイレを望んではいません」
歌舞伎町タワーのジェンダーレストイレが話題になる少し前には、渋谷区幡ヶ谷の公衆トイレが男女共用トイレと男性用の小便器トイレで構成され、女性専用トイレがなかったことが問題視された。ここで問題になったのは共用トイレそのものではなく、女性専用トイレがなかったことである。「男性専用トイレ、女性専用トイレ、多目的トイレの3種類を設置すれば、なにも問題は起こりません」と三橋氏は言う。実際に、最近つくられている商業施設はそのような構成になっているところが多い。共用トイレを設けることが女性の安全を損なうといった言説にいたずらに振り回されず、冷静な議論をしなければならないだろう。