甘い、辛い、酸っぱい……日本の食生活で日常的に出くわす味がある。でも実は、“伝統”なんかではなく、近い過去に創られたものかもしれない――。味覚から知られざる戦後ニッポンを掘り起こす!
【澁川祐子の「味なニッポン戦後史」】
【1】専業主婦率上昇で浸透した「だし」をめぐる狂騒 「うま味」(前編)
【2】魔法の白い粉「味の素」の失墜と再評価 「うま味」(中編)
【3】無形文化遺産登録で露呈した伝統的な「和食」のほころび 「うま味」(後編)
【4】専売制下で誕生した「自然塩」の影にマクロビあり 「塩味」(前編)
【5】地名を冠した塩商品の爆増と「日本人は塩分を摂りすぎ」問題 「塩味」(後編)
【6】終戦後の砂糖不足で救世主に 「人工甘味料」バブルと転落 「甘味」(前編)
【7】カロリーゼロから高糖度の野菜まで 「甘い」をめぐる大転換と二律背反「甘味」(中編)
【8】サラリーマン社会の衰退で始まったスイーツのジェンダフリー 「甘味」(後編)
【9】「体にいい」飲む酢や酢大豆が流行 忍び寄るフードファディズム 「酸味」
(写真/Getty Images)
苦味とおいしさの関係は複雑だ。苦味は本来、人間にとって不快な味である。酸味が腐敗のシグナルであるように、苦味は毒物である可能性を示す。だが、苦味に別の味や香り、プラスの経験が加わると、「不快」が「快」に反転する。
典型的なのがコーヒーだろう。小さい頃は苦くて飲めなかったのが、甘いミルクコーヒーをきっかけに飲み始めるようになり、やがてブラックのコーヒーを毎朝飲まないと目覚めた気がしないようになる。苦味は学習次第で、おいしく感じられるようになるのだ。
そもそも苦みに対する感受性は、みな同じではない。遺伝的に、苦味に敏感な人とそうでない人がいることが判明している。それは進化の過程で、ある特定の苦味に対しては食べても差し支えないと感度を下げ、環境に適応したからだと考えられている。とはいえ、苦味に敏感な人が必ずしも苦味嫌いになるわけではない。たとえ強い苦味を感じたとしても、食に貪欲な人ならば、さまざまな食体験を経て、大の苦味好きになる可能性があるからだ。
近年「若者のビール離れ」が叫ばれているが、その原因の一つに若者の苦味嫌いが挙げられていることが多い。「朝日新聞」2005年(平成17)5月1日付朝刊では、苦味をテーマにした記事で「ビールらしさの源は苦みだが、それを嫌う人は若い層を中心に増える一方」というビールメーカー社員のコメントを掲載し、「苦み離れ」が進んでいると報じている。「読売新聞」08年9月20日付夕刊には、ズバリ「若者 お酒も『味覚の幼児化』」「苦いビール苦手」という見出しが躍る。ビールが避けられる理由として「ハンバーグやカレーばかりを食べて育った今の若い人は、ほろ苦さや酸っぱさといった味覚に出会ったことがない」ため、大人の味である苦味がわからなくなっているというベテランの管理栄養士の発言が主軸に据えられている。
だが、「若者の○○離れ」が一面的な捉え方だと批判されることが多いように、「若者のビール離れ」も単純に若者のせいにしてしまっていいのだろうか。そう思ったのは、昭和の終わりに発売されたアサヒビールの「スーパードライ」が浮かんだからだ。
スーパードライは1987年(昭和62)、「コクがあるのに、キレがある」のキャッチコピーでデビューした。この大ヒットによってアサヒビールは2001年(平成13)に業界トップの座を48年ぶりに奪還し、日本のビールの味を変えたとされている。
アサヒビールの偉業を追ったノンフィクションは数冊あるが、そのうちの一冊、大下英治著『アサヒビール大逆転 男たちの決断』(講談社+α文庫、03年)を見てみよう。同書によると、開発の方向性を決定づけたのは、消費者調査の結果だった。これまでの苦くて重い味のビールは消費者、特に若い人たちに好まれないという結論が導き出されたのだ。食事の洋食化にともない、脂肪分の多い料理が増えるなか、飲みものはあっさりしたものが求められるに違いない。そこで「苦味が強く重い味ではなく、よりすっきりしたクリアな味のビール。〈中略〉コンセプトは、“味感がさらりとした、後味がすっきりした、いわば辛口のビール”。これでいこう」と意見がまとまったと記されている。
既視感がありはしないだろうか。先述の記事の20年近く前から若者は苦味を嫌っていたのである。であれば、それ以前はどうだったのかが気になってくる。