サイゾーpremium  > 特集  > 社会問題  > 戦前ニッポン「違法」風俗の裏事情

借金のカタに売られても買い手が付かない女性

――芸妓とは別に、戦前の東京には寺島町玉ノ井(現在の墨田区東向島駅近辺)と亀戸に銘酒屋街なるものがあって、酌婦が売春していたとのことですが、「酌婦」とはどんな存在だとイメージすればいいですか。

寺澤 銘酒屋街というのは飲み屋の看板を掲げているけれども実際は売春宿が集まっていた場所で、飛田新地のちょんの間が表向き小料理屋を謳っているとか、ソープランドが特殊浴場を謳っているのと似ています。永井荷風の小説『濹東奇譚』(1937年)は当時の玉ノ井が舞台になっていますので、読んでいただければイメージがつかめるかなと思います。

――寺澤さんの本によると、娼妓はもちろん芸妓も審査が厳しく、さらには芸娼妓と比べて就業基準が厳しくなかった酌婦ですら求人数を下回る採用しかされず、1930年代初頭で半分から3分の2の女性の身売りが成立しなかったとあり、驚きました。

寺澤 芸娼妓や酌婦を雇う業者側は、その女性の家族に借金を前払いして店に受け入れますから、女性が稼げずに借金を回収できなければ損害を被るわけです。しかも、娼妓は働ける上限が原則6年と法律で定められており、その期間内に返せる力があるかどうかなどをシビアに判断する必要がありました。美人や器量のいい人たちは引く手あまたである一方、容姿がよくないと売れにくいという厳しい現実がありました。

もっとも、今は風俗で勤めようと思ったらネットで求人情報を詳しく調べて自分に合う職場を探せますし、客側も事前にお店や女性の情報を仕入れてから出向きますよね。当時の紹介業者は紹介先が多くなく、限られた手数と時間であっせんをしなければいけないわけで、マッチングの効率が悪かった点も見逃せません。そこで売れなかった人の一部が田舎の私娼宿に行ったことは確認できていますが、それ以外はどうなったのかは詳しくわかっていません。ただ、一部は海外にまで売られていったのではないかとみています。


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