――ネットやマスメディアで「盗作」「パクリ」と騒がれたものの、裁判では著作権侵害が認められず、逆に盗作呼ばわりした側が名誉毀損で訴えられて損害賠償金を支払うハメになっているケースが、実は少なくない。誤った理解で著作権を振りかざす「エセ著作権者」たちがいるのだ。その事件の数々をまとめた『エセ著作権事件簿』(パブリブ)を著し、企業で法務・知財実務に携わる友利昴氏に、ネットにはびこる誤った著作権理解について訊いた。
2015年、東京五輪エンブレム盗作疑惑でアートディレクターの佐野研二郎氏がバッシングされたが……。(写真/Getty Images)
友利昴著『エセ著作権事件簿 著作権ヤクザ・パクられ妄想・著作権厨・トレパク冤罪 過剰権利主張ケーススタディーズVol.1』(パブリブ)
――ネットだと、「設定が似ている」というだけで、すぐ「パクリ」と騒がれます。しかし、「アイデア」と「表現」は別であって、後者が著作権の保護対象であると。つまり、具体的なストーリーや演出表現が似ていなければ著作権侵害にはあたらない。にもかかわらず、中身も確認せずに「盗作だ!」と言い出す人が非常に多いことが、今回の本で印象的でした。
友利 非常に多いですね。「アイデアや設定を独占できる」という考えは大いなる勘違いです。
――そして、言い出してから弁護士と相談したのか、周囲から突っ込まれたのか「法的には勝てない」と悟ると、「法律以前の問題」とか言い始める、と。この一連のパターンが繰り返されていて、知見が全然継承されていないですよね。
友利 そうなんです。訴えてもほとんどの場合は裁判のたびに「アイデアが類似しているにすぎず、訴えの正当性はない」という結論になっているのに、著作権者たちにもメディアの側にもその知見が共有されていません。
――クリエイター向けの著作権本はたくさん出版されているのに、なぜ「アイデアや設定が似ているだけでは著作権侵害とはいえない」ということが広まらないのでしょうか?
友利 クリエイター向けの著作権の本は書き方が抑制的なんです。「トラブルに巻き込まれない」「クレームを避ける」ことに力点が置かれている。だから、本当は法的に正しく書こうと思うなら「ここまではやっても問題ない」と書いてもいいはずなのに、「トラブルに巻き込まれる可能性があるので注意しましょう」という書き方をしている。そうすると、そこで「避けたほうが無難」と書かれているレベルのことをされた場合に「アウトだ!」と早合点してしまう。それに、「いざトラブルになったときに、どう乗り越えるか」ということをクリエイター向けの著作権本では伝え切れていなかったのではないかと思います。
――キャラクター名や書名、訳語は、造語であっても著作権で独占できないという点も、あまり広まっていませんよね。タイトルのかぶりやもじりを、すぐ「パクリ」と騒ぎ立てる風潮があります。
友利 タイトルがかぶっている本や楽曲はいくらでもあるわけですから、冷静に考えたらタイトルを独占できないということはわかると思うんですね。訳語や造語もそうです。言葉そのものの独占が許されるのであれば、人々が自由に言葉を使えなくなってしまいます。
――それから、著作権侵害かどうか判断するときには具体的に表現同士を比較するが、あるアイデアを実現する際に当然採用される表現は省いて比較する、と。例えば、キリンのキャラなら首が長いのは当然だ、ということは差し引く。でも、これも「かぶってる!」と騒がれてしまいがちです。
友利 「似ている」=「不正、違法」という発想になりがちなんですけれども、「それを表現しようとしたら誰でもそうなる」こと――例えば人の顔を描くときに目、鼻、口を描く……みたいなことを特定の人に独占させたら大変なことになります。
――一時期、ディズニーの『ライオンキング』が手塚治虫の『ジャングル大帝』の盗作だと騒がれましたが、実はかぶっている動物は4種類だけで、これも「その動物を悪役にしたらそうなる」「元ネタになる名前がかぶっているから名前が似ている」というもので、しかもストーリーは全然似ていない。でも、騒がれたことで今でも「パクったんでしょ?」と思っている人はいると思います。
友利 かつて漫画家の里中満智子さんが中心になって「盗作だ」という論陣を張っていたんですが、里中さんは現在では日本漫画家協会の理事長であり、著作権啓発活動をされている。ただ、里中さんが当時なされた「検証」は客観的に見て無理筋なものでした。でも、作家本人や周囲のクリエイター、ファンが騒ぐと、外野は「よく知っている人たちが言うんだから、そうなんだろう」と思ってしまう。むしろ、当事者やファンは作品への愛着が強いがゆえのバイアスがあるというほうが常識になるべきであって、冷静な第三者視点こそが必要だと思います。