――甘い、辛い、酸っぱい……日本の食生活で日常的に出くわす味がある。でも実は、“伝統”なんかではなく、近い過去に創られたものかもしれない――。味覚から知られざる戦後ニッポンを掘り起こす!
【澁川祐子の「味なニッポン戦後史」】
【1】専業主婦率上昇で浸透した「だし」をめぐる狂騒 「うま味」(前編)
【2】魔法の白い粉「味の素」の失墜と再評価 「うま味」(中編)
【3】無形文化遺産登録で露呈した伝統的な「和食」のほころび 「うま味」(後編)
【4】専売制下で誕生した「自然塩」の影にマクロビあり 「塩味」(前編)
【5】地名を冠した塩商品の爆増と「日本人は塩分を摂りすぎ」問題 「塩味」(後編)
【6】終戦後の砂糖不足で救世主に 「人工甘味料」バブルと転落 「甘味」(前編)
巷にあふれる食レポを見ていると「甘くておいしい」と「甘くなくておいしい」という、相反する褒め言葉が飛び交っている。「甘い」はおいしいのか、おいしくないのか。その境界線はどこにあるのだろうか。
かつて日本で「甘い」は「うまい」と同義だった。江戸時代後期の料理書では、煮物を「甘煮」と書いて「うまに」と読ませる例が登場する。その頃から料理に砂糖やみりんが多用されるようになり、日本の料理は全体的に甘くなっていった。その一因に、欧米のように食後にデザートを食べる習慣がないからだと言われることがある。だが、理由はそれだけではないだろう。かつて日本の食卓は、動物性タンパク質や油脂と縁遠かった。その代わりに「だし」という、うま味による調味を発展させてきたが、足りないコクをさらに補うため、当時普及し始めた砂糖やみりんの甘味が歓迎されのではないのか。とまれ、甘さは長らく喜ばれるものであって、敬遠されるものではなかったことは確かだ。
では、「甘くなくておいしい」、つまり甘くないことをよしとする風潮はいつ頃から出てきたのか。
1960年刊『家庭でできる和洋菓子』。フルーツゼリーのレシピは、水1カップに対し、缶詰の汁1カップと同量の砂糖(上白糖で約130グラム)。99年の本では缶詰の汁半カップ、砂糖30グラムと大幅に減っている。
お菓子作りの本に何か手がかりはないかと探していたところ、福島登美子指導・監修『婦人之友社のお菓子の本 ケーキから和菓子まで70種』(婦人之友社、1999年)という一冊の本を見つけた。同書は、60年(昭和35)刊行の婦人之友編集部『家庭でできる和洋菓子』を現代風にアレンジした基本書だ。60年の本でも製作に携わった福島氏は、同書で「時代とともにほかのお菓子も甘みが減り、その分、洋菓子ではバターの分量が増えています」と、砂糖が減る傾向にあるのを指摘している。また注目すべきは、75年に福島氏が同じく婦人之友社から『砂糖ひかえめのお菓子』という本を出版したところ、「専門家から『砂糖をひかえたお菓子などあり得ない』といわれたことを覚えています」と記していることだ。
75年(昭和50)は、今も人気を誇るカルビーのポテトチップスが発売された年である。同社が64年にかっぱえびせんを発売して約10年、当時は甘いお菓子よりしょっぱいスナック菓子の人気が高まっていた。だが、ケーキやチョコレートは依然甘く、今では当たり前の「砂糖控えめ」のお菓子は、まだ受け入れがたいものだったのだ。
事情がガラリと変わるのは、1980年代に入ってからだ。当連載「塩味」後篇で、79年(昭和54)にNHK料理番組『きょうの料理』で初めて成人病が特集され、大反響を呼んだことを述べた。その際、高血圧と並び、一つの柱になったのが糖尿病だった。巻頭では「太りすぎの人のために」と題し、食べすぎや高カロリーの食品を控えるように説いている。飢えていた時代から高度成長期を経て、節制の時代に突入したのだ。そこで真っ先にやり玉となったのが砂糖だった。
「読売新聞」83年(昭和58)7月28日付朝刊に掲載されたシリーズ「ニッポン味覚新事情」では、ジャムが「多種類、手作り、低糖路線」に変化したことを伝えている。それによると、「普通のジャム(糖度が六十五度以上)より甘さを抑えた低糖タイプが全体の六割を占め、いまや主流」とある。70年に業界で初めて糖度55度の「アヲハタ55」という低糖シリーズを発売し、当初苦戦を強いられたキユーピーは「ようやく開花した感じ」とコメントしている。
そして再び、甘味料が注目を集める時代がやってきた。84年(昭和59)発売の、アステルパームと果糖を使った「コカ・コーラ ライト」をはじめ、低カロリー商品がスーパーの棚をにぎわすようになったのだ。「読売新聞」86年8月22日付夕刊では「新甘味料 ポスト砂糖 目白押し」と題し、パラチノース、ステビア、フラクトオリゴ糖、アステルパームといった新たな甘味料が取りあげられている。不足する砂糖の甘さを補うためのかつての救世主は、ここにきて砂糖の量を減らすための代替品へと変貌を遂げたのだ。
そこから現在に至るまでの変化は、記憶している人もいるだろう。90年代に入ると、「甘さ控えめ」の紅茶や無糖の緑茶やウーロン茶といったお茶の缶飲料が売れ行きを伸ばしていく。さらに「朝日新聞」94年(平成6)10月24日付朝刊では「無糖飲料『味で勝負』」と題し、ハトムギなどを使ったブレンド茶や無糖コーヒーが「この夏、売れに売れた」と報じている。無糖コーヒーは「5年ほど前、各社一斉に出したが、当時はまるで売れなかった」のが一変したのである。先のジャムの例と同様、メーカーの提案に、ようやく人々がついてきた格好だった。
こうして砂糖は、市場の隅に徐々に追いやられていった。以後、その流れは止まるどころか、加速していく。
2006年(平成18)には、サントリーがノンカロリーを全面に打ち出した「ペプシネックス」を日本独自にリリース。翌07年には「コカ・コーラ ゼロ」が発売された。その動きはアルコールにも飛び火する。07年にアサヒビールが「糖質ゼロ」を謳った発泡酒「スタイルフリー」を売り出すと、08年には糖質や脂質ゼロの商品が相次いで市場に投入され、「ゼロブーム」が巻き起こった。そして行き着いた先が、昨今流行している糖質制限ダイエットだ。
糖質制限食は、肥満の治療法として長い歴史をもつ。ヨーロッパでは「ダイエット中」を意味する「バンティング」という言葉がある。由来となったのは、19世紀のロンドンを生きた葬儀屋のウィリアム・バンティングだ。肥満に悩む彼は、あらゆる治療を試しては挫折していた。あるとき、医師のアドバイスに従い、炭水化物やデンプン、糖類を減らした食事を続けたところ、初めて減量に成功。そこで彼は1863年、『肥満についての手紙』という小冊子を書き、無料配布した。そこから「バンティング」はダイエットを指すようになったのである。
日本でもかねてから、糖尿病患者に向けて糖質制限の食事療法は行われてきた。だが、それが日本でダイエットとして一般に広まるには「ゼロブーム」の下地が必要だった。かくして「控えめ」から「ゼロ」へ、さらには糖質そのものが避けられる時代へと突入したのだ。