――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった? 生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉
先月まで『コミックコンプ』(角川書店)で連載されていた作品の続きが、予告もなく新創刊のこの雑誌に載っているんだから、そりゃ驚くだろう。
特集でカルトな高校時代を書いたので、コラムでは「その後」の話をする。筆者は海外で暮らしていた中学時代からパソコン誌やアニメ情報誌へ投稿していた。80年代に隆盛していた「投稿雑誌文化」の最後の世代だが、帰国後は雑誌経由で知り合った校外の友人たちと同人活動にいそしんでいた。その中に、中学生の頃からサブカル系情報誌のライターで飯を食っている同い年の天才がいたので、彼に文章技の教えを請い、角川書店分裂騒動の研究同人誌を作ったら、今はもうないエロ本出版社からスカウトされ、ライター稼業が始まった、という経緯だ。
エスカレーター式に大学進学すれば、監獄(寮)生活がさらに4年間続くので、完全にムショボケの懲役太郎になってしまう。その恐怖からイチかバチかの大ばくちに出たのだが、「なんでそんな同人誌を作ったのか?」と言われると、日本を離れている間にオタク向けの出版物状況が激変し、衝撃を受けたからだ。謎の版元が適当に作って数号で潰していた泡沫雑誌が一掃されたのに市場は急拡大していたから、浦島太郎の気分だった。海外でロリコンマンガ誌は入手できないので、その界隈の状況は知らなかったのだ。そもそも小学生が読むな(正直、稚拙すぎてエロくなかったが)。
なので、筆者には宮崎勤事件からのオタク文化弾圧の記憶もトラウマもない。平成に入ってすぐ渡航したから、7月の逮捕も対岸の火事だった。90~00年代は誰もがそのトラウマでマウントを取りたがったので、話を合わせようと見よう見まねでイキっていたら、むしろ面倒なことになった。彼らにとっては「聖痕」であり、被害者意識の強さで「オタク」という新しいカルトへの信仰心を競っていたから、「聖痕」を持たない筆者は「偽者」「背徳者」とののしられ、排除された。