――旧統一教会問題をめぐっては「フランスの『反セクト法』を日本も取り入れるべき」といった意見も出ているが、果たして特定の教団を「カルト」と断定することは可能なのだろうか? そこで、海外の事例と比較しながら、「カルト」という概念について考えてみたい。
【図解】
「カルト」の宗教社会学における位置付け
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7月8日の安倍晋三銃撃事件以降、旧統一教会関連の報道を目にしない日はない。そしてこの報道をきっかけに、再び人々の注目を集めているのが「カルト問題」だ。
『広辞苑』によると、「カルト【cult】 ──崇拝。狂信的な崇拝。「—集団」少数の人々の熱狂的支持」ということだが、国内には特定の宗教団体を「カルト」と「認定」するような法律などはなく、人口に膾炙するレベルでの「カルト」の定義となると曖昧なところがあるようだ。
そこで、本稿では特集の導入として、特集タイトルにもある「“カルト”とはなにか?」というテーマで考察をしていきたい。
このところ、改めてメディアでも多用されている「カルト」という言葉。その響きには「マインドコントロール」や「強い依存」といったネガティブなイメージが連想されるが、國學院大名誉教授の井上順孝氏の『若者と現代宗教』(ちくま新書)では、次のように説明されている。
「カルトという用語は、以前から宗教社会学においても用いられていた。ただその場合は、チャーチ、セクトなどといった概念とともに、教団類型の一つとして使われた。〈中略〉ところが、最近のカルトという用語は、宗教社会学者ではなく、ジャーナリスト、弁護士、精神医学者などによって多く用いられ、意味するところもだいぶ異なっている。「危険な新興の宗教運動」という意味に近くなっている。中でも、オウム真理教など暴力的傾向が顕著なのは「破壊的カルト」と呼ばれたりしている。ともかく、カルトはしばしば危険であったり、うさんくさかったり、社会の規範に対してマイナスの効果をもたらす運動という認識が強まっている。あるいはそういう運動をカルトと呼ぶという傾向になっている(原文ママ)」
そもそもは宗教社会学で使われていた「カルト」という用語だが、他方で国によっては「セクト」という言葉のほうが使われることもあるという。アカデミックな分類において、「カルト」と「セクト」の違いはあるのか? 『宗教の復権──グローバリゼーション・カルト論争・ナショナリズム』(東京堂出版)などの著作がある、創価大学名誉教授の中野毅氏は、こう語る。
「宗教社会学で宗教集団・宗教団体を分類するうえでの枠組みとしては、まず『チャーチ(教会)型』の宗教集団があり、それに対して“分派”と訳されるさまざまな『セクト』があります。チャーチ型宗教集団のモデルはカトリック教会であり、カトリック教会はバチカンにある教皇庁を中心として世界各国を教区に分け、枢機卿や大司教を置いて管轄しています。理想としては『国教』をめざし、各国の国王などの権力者とタイアップしながら、全世界的な統合を目指しました。ある国がカトリックを国教とすると、その領民は強制的にカトリック教徒になる。これが古代から近代の初頭にかけての宗教と国家権力の基本的なあり方です。一国家に一教会を設立し、王権や国家と連携して、その支配を正当化するというのが『チャーチ型』宗教集団です。
このカトリック教会による支配に反旗を翻すかたちで、分裂していったものが『セクト(分派)』です。16世紀にヨーロッパでは宗教改革が起こり、ルター派やカルヴァン派など、さまざまなプロテスタント諸派が誕生します。彼らはカトリックの教皇といった宗教的権威者を認めず、ルターが主張した『信仰のみ(sola fide)』いう考え方に代表される、聖書を通した各人の信仰、1人ひとりの内面における信仰、いわば主観的な信仰心を重視した考え方をとる宗教集団です。それらは全体として分派であり、セクトと呼んでも良いでしょう。
ただし、宗教社会学では、ルター派やカルヴァン派は国教制を主張しますので『チャーチ型』に分類します。そこがややこしい点です。学問的に厳密な意味での『セクト型』宗教は、政治権力の支配を拒否し、成人になってからの洗礼、入信を重視する再洗礼派と呼ばれたラディカルな少数派を指します。代表的にはメノナイト派やアーミッシュ派です」
詳しくは冒頭の表を見てほしいが、北欧諸国が国教とする「ルター派」など「セクト」という言葉が指し示す意味は非常に幅広いという。
「次に注目すべきはアメリカです。イギリス国教会から迫害されたピューリタン(英語でPuritan、すなわち『信仰をさらに純化しよう(purify)』とする人々という意味)たちが、信教の自由を求めて移民してきたことで建国された国という話は有名ですよね。実際はさまざまなセクトの信徒が移民してきます。カトリック信者もアイルランドなどから多く渡っていますが、アメリカではカトリックも少数派で、並立するプロテスタント諸派と共存する状態となっています。そうしたある種の共存共栄の状態を『デノミネーション型』といいます」(同)
「チャーチ型」「セクト型」「デノミネーション型」のいずれも宗教集団・団体が前提になっている。これに対して宗教社会学用語としての「カルト」は、「生まれながらに所属する教団」ではなく、「その国の伝統的な宗教とは異なる要素を多く含む教団」や「比較的小規模で素朴な信仰のあり方」を指す言葉だという。
「宗教の原型ともいえるようなもっと素朴な礼拝や信仰のあり方、はっきりした教義や集団として形を持たず、特定の事物や人物を崇拝するようなものを『カルト』と宗教社会学では分類しています。ラテン語で『崇拝・礼拝』を意味する“カルタス(cultus)”が語源です。例えばある生き物を村人みんなで大切にして崇めたり、神秘的な言動をする人物を聖人として崇拝したりすることも含み、こうした『カルト』ともいえる宗教的な文化は世界各地にあります」(同)
そんな素朴な言葉が、宗教社会学の用語を離れて、80年代のアメリカでは「破壊的な意味合い」や「ネガティブなトーン」を帯びるようなったのはなぜか?
「プロテスタント諸派のキリスト教を中心に発展したアメリカに、アジアやアフリカなどから移民と共に、さまざまな宗教が入り込むようになります。つまり、それらはアメリカという国の建国理念や建国時の宗教的なイデオロギーを否定するような、『社会的に危ない宗教運動』と見なされやすいんです。その結果、アメリカでケネディ大統領の時代はヒッピーなどで有名なように、新宗教運動も単に一風変わった新しい若者文化という程度の意味合いだったのですが、80年代のレーガン大統領の時代に保守回帰、伝統回帰が始まると、危険で有害な運動としての『カルト』と呼ばれるようになりました。子どもがそれらの運動に参加した親たち、政治家やキリスト教の主流派の牧師たちが危機感がつのらせ、メディアが有害な運動・文化という意味合いで『カルト』という言葉が使われだして、一挙に拡がりました。アメリカでは旧統一教会やクリシュナ意識など東洋系新宗教に加え、エホバの証人やサイエントロジーといった教団が社会問題となりました。こうした教団が日本にも活動の幅を広げ、話題を呼ぶことで80年代以降、日本でも『カルト』がネガティブな言葉になったと言えます」(同)
「カルト」がアメリカで定着したのは、多くのアメリカ国民の出自が「セクト」であり、「チャーチ型」と「セクト型」の区別が元来あまり認識されていない「デノミネーション型」の社会であることが理由のようだ。一方で、フランスなど歴史的にカトリックが主流な国では、「カルト」の代わりに「セクト」という言葉が使われる。
「ヨーロッパでも特にフランスはフランス革命まで、ずっとカトリックが国教でした。そのため、『カトリックを否定するふらちな連中』といった意味合いの『セクト』という言葉が定着していて、昔から危険なというニュアンスを帯びてるんですね。だからカルトでなくセクトと呼ぶんです」(同)