安直な言い回しが目につく若手ラッパーも多い中、その言語センスは図抜けている。ただ、神戸市長田区生まれの彼は、“サイケデリックな迷宮”にはまり込んだ過去も――。
(写真/藤田二朗)
元首相が銃弾に倒れた直後、190センチの青年が渋谷にある編集部に現れた。今年、1stアルバム『NERD SPACE PROGRAM』を発表した21歳のラッパー、hyunis1000だ。トラップ、ロック、電子音楽を取り入れた同作は、自身や仲間との刹那的な日常を綴った日記のようで、アンビバレントで普遍的なメッセージを突きつける。例えば先行シングル「RUN」では、「友達からもらうbeat/友達からもらう服/友達からもらう絵/友と作る思い出」と歌う一方、「契約して無い けどした約束/人生かけとく でも無理はやめとく」というラインがあるように。言葉遊びのセンスは新進ラッパーの中で光るものがある。
そんな彼は神戸市長田区で生まれ育った。いわゆる“ゲトー”とみなされがちな同地には、被差別部落が存在し、在日コリアンが集住する。自身も在日3世である。
「親は朝鮮学校に通って、日本の学校との喧嘩があったらしいけど、僕、韓国語わからへんし、日本の学校で在日の友達と『おはよう、チョンコ』とか言い合ってました。アメリカの黒人がニガと呼び合う感じで。ただ、オトンがやってた焼鳥屋がうまくいかんくて、親はお金の話でずっと喧嘩してた」
ヒップホップとの初めての出会いは小学3年生だった。
「オカンが親指みたいなUSB型ウォークマンを道で拾ってきて、そこにキングギドラ(現・KGDR)の『未確認飛行物体接近中』が入ってたんです。ヒップホップと知らずに聴いたけど、『言ってることがめっちゃヤバい!』って」
ヒップホップにのめり込みだしたのは中学時代。高校に入ってからは「高校生RAP選手権」の影響もあって自らラップを始め、神戸の繁華街・三宮や元町高架商店街(通称モトコー)のストリート系ショップ、クラブ、バーなどに出入りするように。ヒップホップに限らずレゲエ、ロック、ダンスミュージックと多様な界隈の人たちと関係を築き、その過程でレコーディングやライブの経験も積んだが、“サイケデリックな世界”に迷い込む。
「サイケトランスのパーティで50時間くらい遊んでましたね。そういう生活が家出の後に始まって」