――クリエイティブを学び取れ! 気鋭のDTM女子による音楽道場破り
(写真/宇佐美亮)
[今月のゲスト]
G.RINA(じー・りな)
東京都生まれのシンガーソング・ビートメイカー。03年に『サーカスの娘 - A Girl From A Circus』でデビュー。21年に最新作『Tolerance』をビクターよりリリース。18年からZEN-LA-ROCKと鎮座DOPENESSとのユニット〈FNCY〉を始動させ、ソロ/グループ活動を両立させる才女としてめまぐるしい活躍を見せる。
Twitter〈@djsenorina〉
Instagram〈i_am_g.rina〉
今月は私が憧れ、理想とする道をすべて切り開いてこられたシンガーソング・ビートメイカーのG.RINAさんにお越しいただきました。体が3つあっても足りないくらい多忙な日々を送られているリナさんの制作の内側……早速お聞きしたいと思います。
AmamiyaMaako(以下、A) リナさんはトラックメイキングから作詞・作曲、アレンジ、ミックスまで、すべてご自分でこなされていますが、日々どのように制作されているのでしょうか?
G.RINA(以下、G) パソコンの前に……日々座っています(笑)。
A もともとトラックメイキングに興味があったんでしょうか?
G ソウルミュージックやヒップホップに影響を受けていたので、自分なりのソウルミュージックをやりたい気持ちが強かったんですね。自分で(トラックも)作ろうと思ったきっかけは、『さんピンCAMP』(96年)前後の日本語ラップの影響が大きいんです。「私もこういうふうに曲を作っていいんだ」と思うことができて、自らのアイデアをもとに持っている機材で形にできる精神を学ばせてもらいました。なので、当時はデモをたくさん作ってレーベルにも送っていたんですけど、その頃は〈プロデューサー×シンガー〉という流行があって、私のようにひとりで完結する形は求められていなかった。要は「こちらが用意した曲を歌ってくれればいい」という感じで。私はそれを望んでいなかったので、契約の話もあったんですが、やっぱり自分ですべて作ったものをリリースできる場所を探すことにしました。
A 一般企業にも勤められた時代があったと思いますが、音楽1本と決めたきっかけはなんだったんでしょうか?
G 面接を受けるときに「音楽活動もやっているんですが、それが軌道に乗ったらやめるかもしれません。それでもよかったら雇ってください」とお願いしていたんです。それで採用してくれた会社で1年ほど働くんですが、メジャーから契約の話が来まして、「音楽に専念してほしい」と言われ退社するんですが、そこからも「プロデューサーと一緒に作って」という流れになったので、結局やめちゃいました。
A そこまでスタイルを貫かれたんですね。
G 自分の持ち味は“作って組み立てて歌う”であって、今よりずっと未熟でしたが、そこを大切にしてくれるレーベルじゃないと長続きしないだろうなと。それに自分がこのスタイルを続けないと、同じような人が増えないし、あきらめちゃいけないと思いました。
A 素晴らしいです。リナさんが作る音楽はジャンルにとらわれず、さまざまなエッセンスがミックスされていて素敵だなと感じているんですが、曲を作るうえで心がけていることはありますか?
G 自分が納得できるまで突き詰めることと、俯瞰で見ること。最初から今まで、良くも悪くも誰の意見にも左右されない環境で制作していたので。
A 誰の意見もないと、逆に迷ったりしませんか……?
G ありますあります。常に迷ってます(笑)。なので、締切があると助かる。それがないとずっと迷い続けるし、ずっと試し続けてしまうので。
A するとFNCY【編註:ZEN-LA-ROCKと鎮座DOPENESS、G.RINAの3人組ヒップホップユニット】のときは?
G すごくやりやすい環境です。役割分担がありつつ安心して制作できる。こんなに楽しいんだとビックリして(笑)。