――古来より、仏像や仏画は国家の権威付けや宗教の力を強めてきた。それは西洋の教会における宗教画も同様である。それでは、現代美術館に展示されている仏像や宗教画は、信仰の対象ではなく純粋なアートになったのだろうか? ここでは宗教とアートの関係を浮き彫りにしてみたい。
【1】『悲母観音』狩野芳崖 作/画像提供:東京藝術大学 / DNPartcom
いつまでも終わらないコロナ禍の収束を願い、「コロナ大仏」の造立を目指すという、令和の大仏プロジェクトが最近話題になった。呼びかけたのは、武蔵野美術大学で油絵を学んだ後、永平寺で修行し僧侶になったという経歴の風間天心氏。現役の僧侶でありアーティストでもある風間氏は、「神仏や死後、そして感情や精神などの『目に見えない』世界に向き合うのが僧侶であり、その『目に見えない』世界や心を目に見えるように表現してきたのがアーティストだ」として、僧侶としてアーティストとしてこの困難な時代に「大仏という祈りの対象」を生み出す活動をする決意をしたという。752年に完成した奈良・東大寺の大仏は、天然痘の流行、地震、飢饉などが相次いだ時代に、国の安定を願って造立されたものだが、疫病、戦争、暗殺と大事件が相次ぐ今の世界情勢も、かつてなら改元&大仏建立案件の事態であるといえそうだ。
信仰の対象として生み出された大仏は文化財としても世界的に見ても稀有なものであるが、これまでも日本の寺院はさまざまな仏像や仏画など、貴重な作品を連綿と生み出してきた。
それらの仏像や仏画は、今では美術館に展示されることも多いが、それではそのような場所において、仏像や仏画は信仰の対象として存在しているのだろうか。それともアートとして鑑賞されているのだろうか。
日本に限らず西洋でも、美術史を考える上で宗教の影響というのは切っても切り離せないが、それらの作品を語る時、「それは芸術なのか宗教なのか?」という問いは普遍性を持っているといえそうだ。
「そもそも宗教、という言葉は“religion”の訳語として、そして美術という言葉は“Fine Art”などの訳語として明治になって使われるようになりました。それ以前は仏教やキリスト教など、さまざまな教えを並列に捉える『宗教』という概念もなければ、文化財としての『美術』という概念もなかったのです。そうすると『美術か宗教か』という問い自体が江戸以前には成立しない、極めて近代的な問いだということができますね」
こう答えるのは、宗教学者であり、自身もアーティストである君島彩子氏。君島氏によると、日本が美術という概念を輸入した18世紀には、欧米ではルネッサンス期に復興されたギリシャやローマなどの古典美術をさらに復興させようという動きが活気づいた新古典主義というムーブメントが起こっていた。その影響から日本でも飛鳥〜奈良時代に作られた仏像が評価されるようになったという。
興福寺の阿修羅像などに代表されるこれらの仏像に影響を受けたのが、鎌倉時代の運慶や快慶など「慶派」と言われる興福寺を拠点とした仏師たち。明治になると、さらに奈良時代の仏像は再々評価されることになった。
その動きの中心にいたのが、アメリカから来日したお雇い外国人のアーネスト・フェノロサだったという。