――人間はどこから来たのか 人間は何者か 人間はどこに行くのか――。最先端の知見を有する学識者と“人間”について語り合う。
地理的な環境は人間の行動をどのように条件づけ、政治の原理を形成していくのか。地政学の観点から見えてくる世界の成り立ちと構造を『13歳からの地政学』の著者・田中孝幸氏に聞く。
(写真/永峰拓也)
今月のゲスト
田中孝幸[国際政治記者]
大学時代にボスニア内戦を現地で研究。全国紙の新聞記者になってからは、政治部、経済部、国際部、モスクワ特派員など20年以上のキャリアを積み、世界40カ国以上で政治経済から文化に至るまで幅広く取材。今年2月に刊行された初の著作『13歳からの地政学』(東洋経済新報社)は10万部を突破するベストセラーに。
萱野 今回は話題のベストセラー『13歳からの地政学』(東洋経済新報社)を上梓された国際政治記者の田中孝幸さんをお招きし、地政学の観点から人間社会の成り立ちについて考えていきたいと思います。田中さんはこのご著書で、国際政治や経済がどのように動いているのかを、その地政学的な原理にまでさかのぼって非常にわかりやすく解説しています。その過程でしばしば言及されているのが地球儀の重要性です。事実、地球儀は各国間の地理関係を直感的かつリアルに把握させてくれるという点で、地図とはまったく違うものですよね。
田中 地球という球体を地図という二次元の平面で表現しようとすると、どうしても歪みが生じます。世界地図の主流であるメルカトル図法でも面積比がかなり変わってしまう。そうした歪みのある地図は、ある意味で人間の認識のメタファーにもなっているように思います。つまり、私たちが実際に認識している世界のあり方もどこか歪んでいたり、見えていなかったりする場所があるのではないか、と。また、どこの国も世界地図の中心には自分の国を置くわけですが、人間も同じようにどうしても自分の国を中心にして世界を捉えてしまいがちです。しかし、場所が違えば当然、世界の見え方もまったく違うものになるはずで、地球儀はそうした認知の歪みに気づかせてくれるツールでもあるんですね。『13歳からの地政学』には、子供たちに地球儀を活用することで、そんな歪みを修正して視野を広げてほしいという思いがありました。
萱野 確かに地球儀を見ると世界に中心なんてものはないということがよくわかります。これに対して地図はどうしても中心を設定せざるを得ません。地図は世界の見方を必然的に歪ませてしまいますね。
田中 日本が“極東”と言われるのはヨーロッパの世界地図だと日本が一番東に位置するからですが、極東という呼称には中心から離れた辺境というイメージがあり、私たち日本人も気づかないうちにヨーロッパ中心の世界観を受け入れてしまっているところもあるでしょう。
萱野 “中近東(Near and Middle East)”という表現も同じですね。これは、ヨーロッパから近いアジアの地域、という意味ですから。世界地図の意義と役割が大きくなっていった歴史過程は、ヨーロッパが世界に進出していった過程と重なりますので、世界地図にヨーロッパ中心的な発想が色濃く反映されているのは仕方のないことかもしれません。だからこそ、地球儀を見ることで得られるリアリティの意味は大きいと思います。現在、ロシアによるウクライナ侵攻の影響もあって地政学への関心が高まっていますが、その理解にも地球儀が役立ちますよね。
田中 中国とアメリカという巨大なパワーに挟まれているという地理的条件や今後厳しさを増していく国際情勢を考えれば、日本で地政学への関心はさらに高まっていくと思います。そこでぜひ多くの人に考えてもらいたいことは、同じ人間であっても生まれ落ちた土地や環境によって行動様式は変わってくるということです。それを考えることが地政学の面白さであり、もっとも重要なことだと言えます。
萱野 人間の活動や思考はさまざまな自然環境によって条件づけられているという視点は極めて重要です。人間はどうしても自分のことを自由に考えて行動する存在だと考えてしまいがちですが、実際は自らが投げ出された世界に条件づけられて生きざるを得ない存在です。
田中 そうした視点を持つことは人種差別的な考え方を退けることにもつながると思うんです。今、書店に行けばほとんどヘイトスピーチと言っていいような主張をしている本が書棚に大量に並んでいて、子供にはとても読ませられないという危機感がずっとありました。今回の本は子供たちが偏見や憎悪を煽られることなく国際情勢について考えるきっかけになってほしいという願いを込めた一冊でもあるんです。