「剣道を始めたのは小1。ぜんそく持ちだったんですが、近所に剣道を始めてから症状が良くなった子がいて。それで始めてみたら向いてみたいで、試合でもけっこう勝てたんです。九州の大きな街の育ちなんですが、市内大会でも上位に入って。もちろん、ぜんそくも良くなりましたよ」
もともと男子と活発に遊んでいた香奈子は運動神経も良く、メキメキと腕を上げていった。だが、中学では剣道部に入部せず、ソフトボール部を選ぶ。
「実は剣道と同時に男子に混ざって野球もしていたんです。そっちも楽しかったし、中学の剣道部はできたばかりで人数が少なく、熱心に活動していなかったから、ソフトボール部を選びました。今だったら女子野球チームを探していたかも」
だが、香奈子が剣道の強者であることは、地元では有名な話。弱小の剣道部は、香奈子が3年生になると人数不足ということもあり、最後の大会まで試合だけでいいから来てほしいと懇願してきた。稽古の厳しさはつらかったが、剣道自体は好きだった香奈子は申し入れを受け入れる。そうやって大会に出場すると、香奈子はあっさり地区予選を勝ち抜いてしまう。さらに「助っ人」参加にもかかわらず、大会を終えると複数の剣道強豪校からスカウトの声もかかった。
「結局、その中から特待生の条件が良い高校に進学することにしました。家が特別裕福でもなかったから、お金がかからないのはありがたいし、勉強も苦手だったので、入試もなくていいかなあと」
その高校は体育コースがあり、剣道以外のスポーツも盛んだった。実際、香奈子の同級生にも野球やサッカーをはじめとして、プロや将来のオリンピック出場を志して入学してきた生徒が多かった。当然、練習は厳しく、上下関係はもっと厳しかった。
「最初はギャップもありましたよ。中学は上下関係が緩かったから大変。剣道部は助っ人参加だったので、高校には先輩はおろか同級生にも見知った子がいない。最初は何度も辞めようと思いました」
いわゆる「シゴキ」もあった。
「掛かり稽古という剣道では定番の練習があって。受け手に打ち手がひたすら剣を打ち込んでいくのですが、先輩が受け手になると、永遠に終わらないんじゃないかというくらい打ち込みをさせられる。バテて動きが鈍くなると、受け手や周囲の先輩たちにハッパをかけられたり、背中を押されたり。しかも陰険で、先生がいるときはそんなことやらないんですよ」
それでも辞めなかったのは、親に「もうちょっとがんばってみたら」と励まされたのと、剣道自体は好きだったから。そんな生活にも慣れ、上級生になると、香奈子は大会でも活躍する。最終的には九州大会にも進出するなど、きっちりと結果を残した。それを手土産に、香奈子は大学にも剣道のスポーツ推薦で進学する。ただし、バリバリの強豪ではなく、高校と比較するといくぶんレベルが低く、部の雰囲気も緩い大学だった。