――昨年「遅咲きのヒーロー」でアーティストデビューを果たした田中雄士。格闘技の世界ではキックボクシング王者として広く知られた存在だが、近年はアーティスト活動に本腰を入れている。さらに、スポーツジムの経営をはじめとする実業家としても、その手腕を遺憾なく発揮している彼が、再び本誌で語ったこととは何か。
(写真/ティム・ギャロ)
田中雄士、44歳。35歳でキックボクシングの王座を射止め、その後はスポーツジムや飲食店、不動産事業も軌道に乗せた辣腕ビジネスマンと知られ、彼のインスタグラムを見れば、無作為に並ぶ画像の数々から成功者としての証も見て取れる。そんな彼が40代を迎えるにあたり、新たに始動させたのがアーティスト活動だ。“ヒップホップ・シンガー”という看板を背負い、シングル「遅咲きのヒーロー」をリリースしたのは2017年。昨年にはビクターエンタテインメントからメジャーデビューを果たし、順風満帆の人生を歩んでいる。しかし、彼はまだ満ち足りていないと話す。前回のインタビューでは語られなかった若かりし頃の回顧も含め、〈アーティスト・田中雄士〉の心中を探った。
――メジャーデビューから約1年が経過しますが、大きな変化はありましたか?
田中雄士(以下、田中) フィーチャリングの依頼がきたり、手応えは徐々に感じてきていますが、まだまだですね。アーティスト活動としてのリアクションではないかもしれませんが、「アニキ、最高っす」や「ジムに通いたいです」「車の運転手にさせてください!」といった全国の若者たちから1日数十件はインスタでDMが届くようになりました。女性の方からも「お会いしたいです」などたくさんのDMをいただくので、ありがたい限りです。
――ジムや飲食店、不動産など、複数の事業を抱えながらアーティスト活動を両立させるのは難しくないのでしょうか?
田中 楽しみでしかないですよ。逆にアーティスト活動だけに絞ったら「売れる曲を作らなくては!」とか焦っちゃうかもしれません。ジムは新たに去年3店舗オープンしたんですけど、今年はさらに4~5店舗は増やしたい。不動産事業のほうは新卒も採用して、規模を大きく展開していく予定です。仕事が基本の人間なので、精神的には常に安定してます。
――失礼を承知で聞きますが、赤字は?
田中 全店舗しっかり黒字を出してますよ。お金も人も増えれば、それが僕の力になって、かつアーティスト活動にもフィードバックできるので。
――ふと不安に襲われたりすることは?
田中 むしろ不安になりたいです(笑)。
――田中さんがいま20代であれば、もっとイケイケな対応なんでしょうけど、“遅咲きのヒーロー”と歌っているだけあって、落ち着いた熟年の説得力があります。
田中 でも、上には上がいますからね。僕はまだ雑魚なので、謙虚でいたいだけです。とはいえ、そこに経済力だけじゃなく、経験も重ねられているのは年齢のおかげかもしれませんね。
――田中さんといえば、もともと「K」から始まる某有名組織の元リーダーを務められていたと思いますが、それを経て経営に着手しようと思ったのはなぜでしょうか?
田中 「K」には10代の頃に所属していたんですが、そこで2代目のリーダーをやっていました。とにかくメンバーの数が多くて、本隊で200~300人、周辺部隊も含めれば1000人以上はいたんじゃないかな。そこでいわゆる経済活動と言いますか、例えば都内のクラブでパーティを主催して、儲けを出す。そこからさらに資金を膨らませるためにイベントを打つ。10代のビジネスだったとはいえ、1000人が動けば、なかなかの金額を稼げるのは想像がつくかと思います。当時からお金を動かすことに興味があったので、自然と経営に興味が向いたのかもしれません。