――21世紀型盆踊り・マツリの現在をあらゆる角度から紐解く!
大石始の著書『ニッポン大音頭時代』(河出書房新社)
現代において、もっとも身近な祭りとは、近所の神社で行われている例大祭や夏の盆踊り大会ではなく、ネット炎上としての「祭り」なのではないだろうか──ふと、そう思うことがある。僕自身は幸いにも自分の投稿が炎上した経験はないけれど、SNSでは毎日のように誰かが燃やされ、祭り上げられている。そして、いつの間にかそれが日常になってしまった。
社会学者の吉野ヒロ子氏は論考「ネット炎上を生み出すメディア環境と炎上参加者の特徴の研究」において、ネット上の「祭り」について「インターネット上の呼びかけを元に不特定多数が参加するイベントのことである」と定義している。そうした「祭り」の中でも象徴的な事例として吉野氏が挙げるのが、2001年の「田代祭」だ。同年末、タレントの田代まさしが覚醒剤所持・使用により逮捕。そのことを受け、アメリカのニュース雑誌「タイム」における「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に田代を推そうという動きが国内のネット民の間で高まり、組織的な大量投票が行われた一件である。僕も当時のことをうっすらと記憶しているが、SNS登場前の時代だったとはいえ、火の手が一気に広がり、メラメラと燃え盛る光景には恐ろしさを感じたものだった。
考えてみると、ネット上の「祭り」とリアルな祭りの共通点は決して少なくない。ひとりの対象者(リアルな祭りの場合は広義の「神」)を祭り上げるという巨大なムーブメントと、それに参加するカタルシス。連載担当の編集者S氏は「不特定多数が集まる」「古参が風習を語り出す」といった類似点を挙げていたが、確かに頷ける指摘である。匿名性が高いがゆえ、時には個人の責任を超えて暴走状態になるのだろうし、古参が風習を語り出す光景もネット/リアル両方でたびたび見かけるものである。
大きな違いは、決まった時期にしか行われないリアルな祭りに対し、ネット上の「祭り」は毎日のように繰り広げられているという点だ。リアルな祭りとは踊りや装束、祭祀空間、山車や神輿などによって非日常(ハレ)を作り出し、コミュニティに溜まったガス抜きをすることを目的のひとつとしている。1年に一度の祭りだからこそ人々は自我を解放することができるし、ひとときの暴走状態も「1年に一度のもの」として許されるのだ。
だが、それが毎日となると、ちょっとした異常状態である。僕も数年前の一時期、ひたすら全国各地の祭り・盆踊りを駆けめぐったことがあるが、精神的に疲れ切ってしまい、それからは現地に足を運ぶ回数をセーブするようになった。ハレとはケ(日常)があるからこそ意味を持つものであって、連日「祭り」が繰り広げられているネット世界は、明らかに普通の状態とはいえないだろう。