――2022年1月、講談社から「大友克洋全集」の刊行がスタートする。漫画作品だけではなく、映像作品やイラストレーションなども含めた全仕事を収録した決定版全集とのこと。このような漫画家の個人全集は、ファンにとって貴重なだけではなく、漫画という文化を後世に伝えるためにも貴重なものだが、これまでにどんな漫画家の全集が出版されてきたのか? そして漫画家全集はビジネスとしてどのように成立しているのか? 評論家・編集者の中野晴行氏に、その事情について聞いた。
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――漫画家の個人全集の代表的なものというと、手塚治虫でしょうか?
中野晴行(以下、中野) そうですね。1977年から刊行がスタートされ、手塚治虫の生前に300巻、死後に100巻が追加され全400巻になった「手塚治虫漫画全集」(講談社)が代表的ですが、実は手塚の漫画全集はこれが最初ではありません。1965年、光文社からA5判ハードカバーの「手塚治虫漫画全集」が出たのですが、これは17巻出たところで頓挫してしまいました。そのあと67年に小学館から新書判の「手塚治虫全集」というのが刊行スタートされましたが、これも40巻で終わっています。ですから、初めて完結した手塚治虫の全集は講談社版の「手塚治虫漫画全集」ということになります。
――それには手塚の全作品が収録されているのですか?
中野 いいえ。手塚の作品は膨大ですし、生前は本人が気に入らず「これは入れないでくれ」ということで収録しなかった作品がたくさんあります。ただ、いくつかは死後に出た追加の100巻の中に収録されましたが、それでもまだ入ってないものがたくさんあります。
さらにいえば、手塚は同じ作品でも新しく刊行するたびに、いつも手を加えて新たに描き直しているんです。一例を挙げると、『火の鳥』に連載当時はやっていた三船敏郎のアリナミンのコマーシャルのパロディが出てくるところがあるのですが、再刊時にはそのネタが古くなったので、セリフを変えてしまって、意味がよくわからなくなっている。『火の鳥』の望郷編なども、「雑誌連載時」と「朝日ソノラマ版の単行本」と「角川書店版の単行本」では話がまったく違います。角川書店版は朝日ソノラマ版から100ページ近く削除されていますし、重要なキャラクターが原稿に紙を貼って消されています。さらに講談社版「漫画全集」に収録する際にも、ほとんどの作品が描き直されている。
最近刊行された漫画研究家の竹内オサムさんの『手塚治虫は「ジャングル大帝」にどんな思いを込めたのか』(ミネルヴァ書房)は、ジャングル大帝のすべてのバージョンを比較・研究した本ですが、手塚の全作品のすべてのバージョンを収録したら、おそらく1000巻は軽く超えるでしょう。今回の「大友全集」はかなりこだわって大友のすべての仕事を収録しているようですが、手塚でそれをやったら大変なことになりますよ。