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更科修一郎の「批評なんてやめときな?」【72】

幽霊、非モテ論壇と眞子さまの時代。

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――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった? 生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉

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直接の因果関係はないが、2008年に講談社文庫へ収録されたことは東浩紀への勝利宣言であり、星海社独立を招いた、とも言える。

今回は「セックス・エロ」特集だが、巷では「VRチャットのお砂糖」「全国フェミ議連と千葉県のVTuber」といった謎のフレーズが飛び交っている。どっちもバーチャルセックス界隈で「表現の自由」戦士たちの事案だが、その本質は00年代の「非モテ」論争と変わらない。当時も今もその界隈の論争にはまったくコミットしていないが、「非モテ」論争の頃は批評家時代の筆者の文章がよく目の敵にされていたから、鬱陶しかった。「非モテ」を自称する男性たちは「零落したマッチョイズム」を守るために狡猾な振る舞いをする、と指摘したからだが、12年ぶりくらいに書いたなこのフレーズ。

そもそも、このフレーズには元ネタがある。エロマンガ雑誌の創刊休刊を追う同人活動で相方だった中山明宏という男だ。エロマンガやエロゲーを追いかけていたはずが、『マリア様がみてる』というラノベで百合好きになり、性的退却を繰り返した挙げ句、「(性的)加害者になるくらいなら、被害者のほうがいい!」などと啖呵を切って、BLゲーの同人誌即売会まで主催するBLマニアになってしまった。しかし、ある事件で保身のために偽証し、同僚だった筆者を窮地へ追い込むと、現在に至るまで消息不明となっている。

この一件で思い知ったのは、己の男性性から逃走し、「非モテ」を自称する者たちは、表現の自由=ポルノグラフィを享受する自由と保身のためなら、卑劣な裏切りも平然と自己肯定するということだった。結局、オタク向けポルノグラフィは零落者の阿片でしかなかったと悟った筆者は、ジャンル批評から距離を置き、批評家の看板も下ろしたのだが、彼らは今回の衆院選でも表現の自由を謳う山田太郎あたりのネット戦略プロパガンダ通りに共産党を攻撃し、自民党のカモ……新しい票田となっている。全国フェミ議連への攻撃もだが、彼らはポルノの自由を守ることにしか興味がなく、それ以外の自由や現実の女性は憎悪しているので、自民党内のカルトな右派とは相性が良いのだ。

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