――21世紀型盆踊り・マツリの現在をあらゆる角度から紐解く!
今年2月に行われた「西大寺会陽」は、規模を縮小し、関連行事は全面中止、関係者のみで会陽を執り行う形となって開催された。
先日、とある取材で岡山を訪れた。現場へ向かう車中、僕をアテンドしてくれた地元関係者がハンドルを握りながら、こうつぶやいた。「西大寺のはだか祭りも関係者だけの開催ですからね。つまらないですよ」――不勉強にもその祭りを知らなかったのだが、「このあたりでは有名な祭りなんですよ」と説明をしてくれた。
西大寺のはだか祭りの正式名称は「西大寺会陽」。毎年2月の深夜、金陵山西大寺(岡山市東区)では約1万人ものまわし姿の男たちが本堂の御福窓から投げ込まれる2本の宝木を奪い合う。宝木を手にした者は福男と呼ばれ、名誉と共にその年の福が約束される。西大寺会陽の存在を知らなかったが、日本三大奇祭のひとつとして全国的にも知られている祭りらしい。
西大寺のウェブサイトによると、永正7年(1510年)、「参詣の信者に守護札を出したところ、これを戴く者は福が得られると希望者が続出し、やむなく参詣者の頭上に投与したので奪い合い」になった。その出来事がやがて儀礼化し、現在の会陽になったとされている。徴兵で男たちの参加が減った戦時中は女たち中心で開催され、戦争の必勝祈願をしていたそうで、単純計算でいっても500年もの間、途切れることなく続いてきたわけだ。
それだけ長い間続いている祭りだけあって、当然のことながらコロナぐらいで中止にすることはできない。ただし、コロナ前ならば毎年1万人もの男たちが裸体を密着させて宝木を奪い合うわけだから、究極の密である。伝統の継承か、感染症対策を取るか。そのバランスを踏まえ、前年の開催時は苦肉の策が取られた。マスクを着用した過去の福男141人がソーシャルディスタンスを取りながら参列。宝木は奪い合わず、福男はくじ引きで決められたのだ。