(写真/佐藤将希)
「その頃に比べれば、今はゲイであることはかなりオープンにしています。家族だと一番かわいがってくれた祖母には伝えて理解してもらえたし、母にもそのうち打ち明けたい」
専門学校卒業後、スポーツ関係の仕事を求めて上京。知人のツテで横浜のクリニックで働き始め、整体師として少しずつ食べていけるようになった。同時に「新宿二丁目」デビューを果たし、ゲイとして堂々と生きる人々を目にして、「無理をして隠さなくてもいい」「心を許せるゲイのパートナーと結ばれてもいい」と、気持ちもだいぶラクになった。
「ただ、クラブチームの仲間には、まだ隠しているんですけどね」
専門学校で「やりきった」と本格的な野球は辞めるつもりだった。しかし、上京後にできた友人から、知り合いのクラブチームが選手を募集しているという話を聞き、参加してみると、想像よりも本格的でハマってしまった。
「選手の多くはそれぞれ仕事を持っている社会人。みんな自立しているし、干渉しすぎないし、大人の付き合いだからラク。でも、私自身がプライベートでゲイであることをオープンにし始めたからか、最近、『ちょっと雰囲気変わった?』とか言われることが増えたんです。ただ、キャプテンは本当にいい人で、気づいているのか気づいていないのかはわからないですけど、『ウチはLGBTQでもまったくオッケーだから!』とか話しているし、ほかのチームメイトもそんな感じなんですよ」
目標は、クラブチーム最高峰の大会であるクラブ選手権の全国大会。康士の野球熱は高まる一方だ。そこには「カミングアウトしても平気かな」と思わせるチームの雰囲気も影響しているのかもしれない。
「今も足には自信があるし、守備も上達しました。課題は打撃ですね。社会人野球って、10年間、選手として活動すると、県の連盟から表彰されるんですよ。そこまでは頑張りたいかな」
*本稿は実話をもとにしていますが、プライバシー保護のため一部脚色しています。
田澤健一郎(たざわ・けんいちろう)
1975年、山形県生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経てフリーランスの編集者・ライターとなる。野球をはじめとするスポーツを中心に、さまざまな媒体で活動している。著書に『あと一歩!逃し続けた甲子園 47都道府県の悲願校・涙の物語』(KADOKAWA)、共著に『永遠の一球 甲子園優勝投手のその後』(河出文庫)などがある。
前回までの連載
【第1回】“かなわぬ恋”に泣いたゲイのスプリンター
【第2回】サッカー強豪校でカミングアウトを封じた少年
【第3回】“見世物のゲイ”にはならないプロレスラーの誇りと覚悟