「専門学校を辞めたんです。なんか同じことの繰り返しになりそうだなって」
公務員志望はもともと自ら決めた道ではない。経済的安定を望む母の願いに応えた進路。康士は野球を続けたかったし、本当はスポーツ関係の仕事に就きたかった。こんな気持ちでは、また試験に落ちるのではないか。どちらかといえば引っ込み思案で自分の意見をあまり押し通さない康士だが、高校を卒業して少しずつ広い世界を知ると、その思いがどんどん強まった。そして、改めてスポーツ系の専門学校に進むことを決めた。
「親には申し訳ないから、学費はアルバイトをして自分で稼ぐ。2年間、バイトをしまくりました」
こうして22歳になる年、康士はスポーツ系の専門学校に入学。そして、硬式野球部に入部した。
「志望したのは野球部のある専門学校ばかり。専門学校の野球部はあまりメジャーではないかもしれませんが、大きな大会もあるし、都市対抗野球にも参加できるんですよ」
少し年齢を重ねた新入生、しかも本格的な野球は6年のブランクがある。それでも、チームは優しく受け入れてくれた。野球界全体ではマイナーな存在である専門学校野球部。入部者は大歓迎だった。
「生まれて初めての硬式野球。不安もありましたが、楽しみのほうが大きかったですね。レベルも低くなく、同期には高校時代、あと1勝で甲子園まで迫った選手もいました」
ポジションは、もともと速かった足を生かすため外野。学年が上がると練習試合での出場機会も増えた。さすがにレギュラーにはなれなかったが、攻守の技術は磨かれ、代走で戦力になれた自負はあった。
「最終的に自分たちの代は専門学校の大会で準優勝。あのときは本当にうれしかった」
6年間、我慢を続け、自ら学費を稼いでつかんだ野球に没頭できる環境。幸せだった。
だからこそ、ゲイであることは封印した。
「やっとできるようになった野球を、ゲイがバレることで辞めざるを得なくなったらどうしよう、という怖さがあって。バレそうなことはとにかく遠ざけていました」
チームメイトは優しく気のいい人間ばかりだったが、多くは典型的な体育会育ち。
「男っぽい体育会ノリは正直、得意ではないのですが、合わせていました。ひとりだけ浮くのは嫌だし……まぁ、面倒でしたけど」
年頃の男の集団。話題が女のコや恋愛のことになる割合も多い。
「『ヤッたことあんの?』とか聞かれると、『ないない』と普通に否定していました。本当に女のコと付き合ったことはないし、ヤッたこともない。22歳の童貞ですから、バカにされることもありました。でも、テレビには自分より年上で童貞を公言している人も出ているし、ゲイがバレるよりもいいかなって。むしろ『アイツ、そういうの苦手なんだよ』と思われたほうがラク」
「康士、いいヤツだから」と女のコを紹介してくれるチームメイトがいて、「なんとなく、付き合っている」状態になったときもあった。
「でも、3カ月で別れました。途中で『なんでオレ、付き合っているんだろう?』と思ってしまって。相手のコも男と付き合うのが初めて。なんか男らしい男のイメージを求めていたみたいで、私に対して『なんですぐ謝るの?』『しゃべり方が女々しい』とか不満が多かったようです(笑)」
終始、そんな反応、状況だったから、康士に「ホントに女に興味あるの?」と聞いてくるチームメイトもいた。
「相手としては深い意味はなかったと思うんですが、ちょっとドキッとしました。でも、ここで一瞬間が空くとヘンな空気になってしまうと思い、すぐに『あるよ』と答えました。大切なチームメイトにウソをついてしまったことに、申し訳なさは感じましたけど……」
興味本位からチームで「ゲイバーに行ってみよう!」となったときも、タガが外れるのが怖くて、やんわりと断った。
「ゲイバーに行けば、私がゲイだと見抜く人がいるかもしれない。シラフならうまくかわせても、お酒が入ると自分がどんな反応をするかわからないのが怖くて……」
夢だった野球を目いっぱいプレーできた専門学校時代。だが、ゲイである点については気苦労が多く、自分を抑圧する2年間だった。