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第1特集
「慰安婦論文」と問題国際化の背景

米国教授の「強制」否定論が大批判 国際問題化する慰安婦論の最前線

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今年に入ってから国際的な批判を集めている「ラムザイヤー論文」をご存知だろうか。

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『海を渡る「慰安婦」問題――右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)

ラムザイヤー論文とは、米ハーバード大学ロースクールのマーク・ラムザイヤー教授が執筆した、日本軍の慰安婦制度を題材とした論文。タイトルは「太平洋戦争における性行為契約」(Contracting for sex in the Pacific War)で、2020年12月に国際学術誌「International Review of Law and Economics」のウェブ版で公開された。その内容は、ゲーム理論を用いて、日本軍の慰安婦制度が「商行為」だったと示そうとするものだ。

同論文は「経済学のゲーム理論を用いて」という体裁をとっているが、主張そのものは慰安婦の強制性を否定する、歴史修正主義の言説にありがちなもの。報道の加熱で広く読まれた結果、「出典の扱いにも不備がある」「同教授が過去に執筆した被差別部落や在日コリアン、沖縄の論文にも事実の歪曲や差別的な認識が読み取れる」「そうした論文の出典には青林堂の『余命三年時事日記』や桜井誠の『日本第一党宣言』などのヘイト本も含まれている」といった事実も広く知られることとなった。

そしてラムザイヤー論文に対する批判的な記事は、CNN、ニューヨークタイムズ、ワシントンポストなど米国の主要メディアも掲載。世界の歴史学者から批判の声が上がったのに加え、経済学者が呼びかけた同論文への憂慮を示す署名も3000人以上の学者から集まった。

なおラムザイヤー氏の専門は日本法および法学、経済学。1990年には硬派な学術書でサントリー学芸賞も受賞している。そんな人物が、なぜ日本で流通する歴史修正主義と共鳴したのか。また、その論文が韓国のみならず国際的な批判を浴びているのはなぜなのか。同論文に関する日本のマスメディアの報道が、右派メディア以外では少ないのはなぜなのか。

そうした疑問を解消するには、日本の右派がアメリカを主戦場に続けてきた歴史修正主義的な主張の周知活動や、慰安婦モニュメントの建設反対運動の歴史を知ることが必要だ。

そして、「歴史的事実」を非・学術的な方法によって書き換えようとする動きが、海外にまで広がっている現状を知ることは、今の時代に歴史を考えるうえで非常に大切なことといえるだろう。

本稿では当分野の有識者に話をうかがいながら、ラムザイヤー論文の登場に至る歴史的背景や、その問題点をひもといていく。
 まずは日本軍の従軍慰安婦制度が、日韓の戦後補償問題として扱われ、国際的認知が広まった過程を簡単に振り返る。

日本軍の慰安婦制度が日韓の政治問題として浮上したのは、1990年代に入ってからだった。

「やはり91年に金学順さんが元慰安婦として初めて名乗り出て、自ら証言を行ったことが非常に大きかったと思います。彼女の証言をきっかけに、韓国でも慰安婦の問題が重要視されるようになり、各国でほかのサバイバーの人たちも声を挙げるようになりました」

そう話すのは『海を渡る「慰安婦」問題』(岩波書店)の共著者のひとりで、モンタナ州立大学社会学・人類学部准教授の山口智美氏。

そして92年には、宮澤喜一首相が「軍の関与を認め、お詫びしたい」と謝罪し、真相究明を約束。1993年には日本政府が16人の慰安婦に聞き取り調査を実施したうえで、慰安婦動員の強制性を認めて謝罪する談話も発表した(内閣官房長官の河野洋平による「河野談話」)。

その後、日本軍の慰安婦制度は、同年の国連世界人権会議(ウィーン会議)でも議題になり、95年に開催された北京会議(第4回世界女性会議)でもこの問題は広く周知。そして国際連合人権委員会も、96年の「クマラスワミ報告」などで日本の慰安婦問題を取り上げ、責任者の処罰や賠償などを勧告するに至った。

日本の従軍慰安婦問題は、戦時下における女性の性被害の問題で、韓国のみならず中国、フィリピン、台湾などにも被害者がいた。そのため当初から、日韓だけの政治問題には収まらないものだった。

一方で日本国内に目を向けると、90年代後半には慰安婦問題が日本の歴史教科書に記述されるようになり、その反発として「新しい歴史教科書をつくる会」の活動もスタートした(96年)。

なお翌年に発表された同会の設立総会の趣意書には、「冷戦終結後は、この自虐的傾向がさらに強まり、現行の歴史教科書は旧敵国のプロパガンダをそのまま事実として記述するまでになっています」との記述が見られる。

『海を渡る「慰安婦」問題』の共著者のひとりで、右派言説の研究を行っている能川元一氏によると、こうした「敵から戦いを仕掛けられている」「反日包囲網が広がっている」という被害者意識は、日本の右派によく見られるもの。またこの頃のアメリカでは、実際に右派には快くない事態が進行していた。

「アメリカでは97年にアイリス・チャン(中国系アメリカ人ジャーナリスト)の『ザ・レイプ・オブ・南京』(邦訳版:同時代社)がベストセラーになりました。彼女の登場は、戦後世代の中国系アメリカ人が、日中戦争の歴史に関心を持ち始めたことの象徴であり、それまで日中間の問題だった南京事件が国際的な問題に変化したことも意味していました」(能川氏)

日本軍の慰安婦の「強制連行」否定論、南京事件否定論は、歴史修正主義的な右派言説の核になっている。その主張が広まった背景には、そうした問題への批判が国際化することへの危機意識があったわけだ。

そして2000年頃になると、右派は英語での対外発信にも力を入れ始める。

「南京事件については、日本会議国際広報委員会が編纂の日英対訳本『再審「南京大虐殺」世界に訴える日本の冤罪 日英バイリンガル』(明成社)が00年に刊行されています。また同年には、田中正明さんの南京大虐殺否定論『南京事件の総括』(謙光社)の中心部分などを翻訳した英文書も刊行されています」(山口氏)

この『「南京事件」の総括』の英訳版については、海外のアジア研究の研究者に一方的に送付されていたという。

「北米のアジア研究では最大の学会『アジア研究協会(Association for Asian Studies)』のメンバーに同書が届いたことは、当時から研究者間で話題になっていました。その後もアジア研究協会のメンバーには『史実を世界に発信する会』から一方的にメルマガが届くようになるなど、右派の海外研究者への情報発信は続いてきました」(山口氏)

そして15年には、モンタナ州立大学に勤務する山口氏のもとにも、自民党の猪口邦子参議院議員から『歴史戦─世紀の冤罪はなぜ起きたか』(産経新聞出版)、呉善花『なぜ「反日韓国に未来はない」のか』(小学館新書)の英訳本が届いている。山口氏が猪口氏に直接問い合わせたところ、猪口議員は「自民党で対外発信のチームを組んで取り組みを行っている」と話したという。右派団体が行った対外発信は、のちに政権与党の自民党自体が取り組むようになっていたわけだ。

そうした右派の対外発信は、自分たちに有利に働くどころか、逆に窮地に追い込む結果になることもあった。その典型例といえるのが「歴史事実委員会」が07年にワシントン・ポスト紙に掲載した意見広告『THE FACTS』だ。

歴史事実委員会は、ジャーナリストの櫻井よしこ氏、作曲家のすぎやまこういち氏らが委員に名を連ねる組織。自民党議員の稲田朋美氏や、当時民主党議員だった河村たかし氏(現・名古屋市長)も意見広告に賛同していた。

この意見広告は、アメリカ下院議会で、慰安婦に対する日本政府の謝罪を求める決議案(アメリカ合衆国下院121号決議)が提出される動きを受けて掲出されたもの。広告内では「慰安婦募集に日本政府や軍の強制はなかった」といったおなじみの主張を展開したが、その内容はかえって反発を呼ぶ結果となり、決議案は可決された。

「また安倍晋三首相(当時)も『(従軍慰安婦の)強制性を示す客観的な証拠はなかった』と発言。各国のメディアで批判を浴びて、ブッシュ大統領に謝罪する結果になったことも、可決の後押しになったと思います。日本の右派がそうした動きを公然と始めたことで、下院議会には『この決議案に反対すると、日本の右派の行動を肯定することになる』という認識が広まっていたはずです」(能川氏)

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