――戦前までは、“神州不滅”といったスローガンがもてはやされていた日本。ただし、近現代に至るまでは、海のおかげで侵略されることがなかったというのは、間違いではない。世界地図の中で、極東と呼ばれる地理に位置する日本の歴史を、昨今、にわかにはやりつつある地政学的な視点で見てみよう。
(絵/きたざわけんじ)
近年、国際政治を語る上で「地政学」という言葉がトレンドになりつつある。地政学とは、国や民族、もしくは一定の社会集団の政治・外交・経済活動を、地理的な条件や環境から考察する学問だ。
その系譜である「政治地理学」の発祥は、古代ギリシア時代までさかのぼることができる。哲学者・アリストテレスは、民衆を統治するための政治と自然環境の相関性に多大な関心を寄せ、人口と領土の比率・特性から理想的な国家像を描いた。約300年後、古代ローマ時代には“地理学の父”と呼ばれるストラボンが登場。兵士や為政者、旅行者のために「地理書」という大著を書き上げている。
古代ギリシア・ローマで生まれた政治地理学の流れは、14世紀以降にイスラム世界やフランス、ドイツでさらに花開いていく。18世紀に活躍したフランスの哲学者・モンテスキュー、ドイツの哲学者・カントなど知の巨人たちは、いずれも政治地理学の発展に大きく寄与したとされる。19世紀になると、スウェーデンの政治学者ルドルフ・チェーレンが先達たちの思想や理論を体系化。「地政学」という名称を正式に生み出した。
「19世紀にドイツで発展した地政学は、その後、ナチス・ドイツの侵略や帝国主義的思想を正当化する御用学問として利用されていきます。そのため、第二次世界大戦や全体主義に対するアレルギーが強い日本の学会では、今なお地政学を敬遠する風潮も。ただ現代において国際社会では、国の外交・軍事政策を地政学的に分析することはごくごく普通のこと。歴史をひもとく上でも有用な視点になるでしょう」(元防衛省幹部)