豪士の故郷は東日本にある人口約20万人の地方都市。実家は町場にあったが、それでも田舎特有の閉鎖的なコミュニティは存在した。“異端者”“よそ者”への目は厳しく、偏見も激しい。
「もし地方の街でカミングアウトしたら、正直、怖いというレベルではないです。いじめに発展しても何もおかしくはない。自殺するのと同じです」
ここまで豪士がカミングアウトを恐れていたのは、自身が地元で顔を知られる存在になっていたからでもある。スプリンターとして才能が開花し始めていたのだ。
「陸上を始めたのも小学4年。足が速かったので、学校のクラブの先生に誘われました。最初はイヤイヤで、なんとなく続けていただけだったんですが、6年生のときに100メートルで親友に負けたんです。それをきっかけに本気になりました。単純に悔しかったんですよ」
競技を問わず、負けず嫌いはアスリートに欠かせない要素だ。そして、一流の選手は競技人生の中で、必ずターニングポイントになる――つまり成長のきっかけになる負けを経験しているものである。
中学でも迷わず陸上部に入り、必死に練習した。すると、体の成長も相まって記録が一気に伸びる。親友に勝つどころか、中3のときには100メートル県王者に輝くまでに。練習をすればするほど速く走れるようになるのが楽しく、爽快で、自信にもなった。進路を決める頃には複数の陸上強豪校から勧誘の声がかかり、その中から選んだ県内の高校にスポーツ推薦で進学。高校でも順調に結果を出し、全国大会にも出場する。気がつけば、地元の高校生の間では、ちょっとした有名人になっていた。
「高校時代、買い物をしている写真がツイッターに投稿されていたんです。後ろから誰かに撮られていたみたいで」
陸上で活躍していたとはいえ、自分がそうした存在になっていたとは思わなかった。
「マズい、これは目立つことはしないほうがいいな、と思いましたね。それこそ、もし男の子と仲良くデートっぽい雰囲気で歩いていたりしたら確実に撮られる、とも」
このエピソードからもうかがえるが、豪士は周囲の状況を客観的に見て物事を判断できる“賢さ”や“理性”を持っている。不用意なSNSへの投稿で炎上する若いアスリートとは無縁のタイプだ。だから、“男らしさ”が強調されるマチズモかつミソジニー的な体育会の世界とも、うまく折り合いをつけることができた。
「いわゆる男っぽい体育会カルチャーへの嫌悪感はそれほどありませんでした。一致団結して目標に突き進んだり、明るいノリ自体は嫌いではなかったので。もちろん、ゲイであることは隠していたから、恋愛話なんかは、みんなが女の子のことを話しているのを、自分は男に置き換えて話を合わせてはいましたけど。作り話もよくしましたね」
それでも、記録が伸びず、本人いわく「ウジウジと」悩んでいたとき、父親に「男らしくいろよ!」と叱責され、反射的に「男らしいって、なんだよ!」と言い返してしまった。知らず知らずのうち、心の中にストレスを抱えていたのかもしれない。ひとりになってゲイである自分について考え始めると、軽く流すことができず、つい深く悩みがちな自分がいる。性に関しても常に悶々としていた。
「『オレ、この先どうなるかな、普通に家庭とか持てるのかな』とかたまに考えたりして。だから、彼氏をつくりたいなんて本気で思うこともない。その頃にはゲイのマッチングアプリがあるのも知ってはいましたが、使わないと決めていました。どっちにしろ、田舎にいるうちはゲイであることをオープンにするのは怖かったし」
相変わらず女性からはモテた。付き合った彼女もいた。セックスもできた。だが、結局、本気にはなれない。行為ができるという点で豪士はバイセクシュアルなのかもしれないが、あくまでも心の内にいるのはゲイである自分。一方で、田舎の閉鎖性や将来への不安を感じると、ゲイとして生きていくことに振り切れない自分もいる。
「彼女と過ごす時間も、男と付き合うことの代替行為みたいな感覚しかなくて……会うのも週に1~2回で十分。シーズン中で重要な大会前は練習に集中したいから、会うこともしませんでした」
陸上で走る楽しさと喜びに目覚めていた豪士。ストイックに陸上へと取り組むこともまた、代替行為のひとつだったのかもしれない、と話す。ただ、豪士が陸上に打ち込めたのは、もうひとつ別の理由もあった。
恋をしたのだ。