「毎日電報」に掲載された美男子コンテストの募集記事。(国立国会図書館蔵)
日本初の美男子コンテスト入賞者の発表は、募集から約3カ月後の1911年の元旦に「毎日電報」紙上で行われ、前田利彭という加賀前田家の末裔が1等に輝いた。2等には子爵の保科正昭が、3等には会社員の泉岡宗之進が選ばれた。美男力士として知られた國見山悦吉も9等に入賞している。この企画は一度限りで終わってしまったが、重要なのは、なぜこの時期に「日本の代表的美男子」を定める企画が立ち上がったかである。
ここで1910年当時の時代状況を確認してみたい。美男子の募集が始まったのは9月22日だが、その約1カ月前には韓国併合が行われている。5月には、明治天皇暗殺計画があったとして社会主義者・無政府主義者の逮捕が始まり、幸徳秋水をはじめとした26名が逮捕された(幸徳事件)。また、募集が開始されたのが日英博覧会の会期中であったことも重要だろう。