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オトメゴコロ乱読修行【69】

マンガ『大奥』の完結!――SF歴史大河ドラマが浮かび上がらせた令和の現実

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――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。

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 2021年は「母の機能」をメインテーマに据えた2つの長期シリーズが大団円を迎えた。ひとつは『シン・エヴァンゲリオン劇場版』。もうひとつが『大奥』である。著者は『きのう何食べた?』で知られるよしながふみ。江戸時代を舞台に、「歴代徳川将軍をはじめとする要人がもし女性だったら?」というSFじみた設定のもと、ほぼ史実どおりに明治維新までが描かれる。

 江戸城にある「大奥」とは、将軍の正室(本妻)や側室(2番目以降の妻)をはじめとした将軍家の子女や、女中たちが住むスペース。つまり本来は「女の園」だが、本作では三代将軍・家光の時代に「男の園」に変わったことになっている。

 その理由について作中ではいろいろと説明されるが、詳細は割愛。大事なのは、男女逆転設定のまま実際の歴史をたどることで、ジェンダー(社会的・文化的に規定された男女の役割)の諸問題を鮮やかに浮かび上がらせ、“既得権益者”たる男性たちの鼻先に突きつける、その気迫にある(作者がBL畑出身、すなわち男性同士の恋愛が主題の作品を多く描いてきた点もまた、味わい深い)。

 例えば、本作では男子が貴重なため、子供が欲しい女は男を買う。女が男に「懇願してセックスさせてもらう」構図、この見事な批評性。

 男は大切な子種なので働かず、経済の担い手は女。将軍や老中などもすべて女。したがって有力な地位に就く女が「男性差別」を働くことも少なくない。劇中最強最悪のヒール、徳川治済(女性)は言う。「そもそも男など、女がいなければこの世に生まれ出でる事もできないではないか」「男が政に口を出してはならぬ」。このセリフの「男」と「女」を入れ替えたら?

 そんななか、幕府は諸外国に対して「女が将軍である」ことを隠すべく鎖国する。女が国のトップを担っているのは「恥」だ(と考えた)からだ。八代将軍吉宗(女性)はそのことについて「そこまで気を遣って隠さねばならぬほど、女が国を治めているという事は恥ずべき事か」と疑問を持つ。

 架空のSF設定下ですら、現実と寸分違わぬ本質を伴って目覚めるフェミニズム。まるで、どんな土地でどんな育ち方をした女子も、必ず年頃になれば初潮を迎える必然のごとし。

 男女逆転という突飛な設定ながらも――驚くべきことに――物事はちゃんと歴史の教科書どおりに進行していく。綱吉(女性)は生類憐れみの令を出し、吉宗(女性)は倹約を推し進め、家定(女性)は黒船来航に奮闘する。それぞれの行動原理にやや“女性ならでは”のアレンジが施されているものの、招かれる結果は史実と変わらない。

 なぜよしながは、架空の設定で架空の歴史を描かず、架空の設定で現実の歴史を描いたのか? それは、「歴史を担うプレイヤーの能力と性別は無関係」だと言いたかったからではないか。女だろうが男だろうが、愚鈍は愚鈍だし有能は有能。状況さえ許せば歴史の表舞台には女性も立てたはず、という確信めいた仮説を物語の構造レベルで提示したかった……のだとすれば、なんと知的で骨太で健気なフェミニズムだろうか。

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