「毎日電報」に掲載された美男子コンテストの応募者たち。(国立国会図書館蔵)
日本初の美人コンテストは、1891年に浅草凌雲閣で開催された「東京百美人」だといわれている。それは、夏の繁忙期前にエレベーターが故障した凌雲閣が12階の展望室まで客を飽きさせずに登らせるために考案した企画で、壁面に芸者の写真を展示して最後に投票をさせるというものであった。このときは同一フォーマットの全身写真(撮影:小川一真)が審査の対象となり、最終的に新橋玉川屋の芸者・玉菊が一等を受賞した。
それから19年後の1910年、日本初の美男子コンテストが「毎日電報」紙上で行われた。募集要項には、次のような文言がある。
「或骨相学者は言つた『心の明暗は最も巧妙に其顔貌に刻込まれる』と。或心理学者は言つた『人間の顔は其人格を写す精緻な鏡である』と…(中略)…濁つた眼は濁た心の表示である。締のない口は弱い心の表示である。迫った眉は狭い心の表示である。段のある鼻は狡い心の表示である」(原文ママ)