――人類とは旅する動物である――あの著名人を生み出したファミリーツリーの紆余曲折、ホモ・サピエンスのクレイジージャーニーを追う!
ショーン・コネリー(Sean Connery)
(絵/濱口健)没地はバハマのナッソー、それもまたカリブ海と縁が深いボンドらしい! カルトな『未来惑星ザルドス』の赤パン、中世謎解き名作『薔薇の名前』での修道士役、『ハイランダー』のエジプト剣士など、007以外の出演作も素晴らしいぞ。
(絵/濱口健)
オダギリジョーといえば、「倖田來未サイン事件」と『仮面ライダークウガ』に対するラヴ&ヘイトだ。
オダギリはクウガについて語りたがらない。作品名すらプロフィールに掲載していない。そもそも彼は、最初から特撮ヒーロー作品に強い抵抗感を抱いていたし、出演オファーも断るつもりでいたらしい。一方、同番組のキャストやスタッフとは交流が続いているという。
出世作への愛憎相半ばする想い。それは本稿の主役も同じだ。
のちにサー・ショーン・コネリーとして知られるようになるトーマス・ショーン・コネリーは1930年生まれ。故郷はスコットランドの首都エジンバラ、ファウンテンブリッジという地区だ。オフィシャルサイトによれば「エジンバラの労働者階級のネイバーフッド出身というハンブルなビギニングには、やがて達成する偉業をうかがわせるものはなかった」。家計を助けるため(おそらく中学で)学業からドロップアウト、エジンバラ生協で牛乳配達の職に就いたという。
16歳で海軍に志願入隊するも、一族に伝わる持病の十二指腸潰瘍のために19歳で除隊。その後はトラック運転手や棺桶磨き(?)などさまざまな仕事に就く。重要なのは、除隊少し前の18歳から始めたボディビルだ。そこで鍛えた肉体を活用し、ライフガードや美術モデルも兼業。彼をモデルに何枚もの絵を描いた同い年の画学生──のちにスコットランド美術界を盛り上げ、やはり「サー」の称号を持つことになる──リチャード・デマルコは、当時のショーンを振り返って「言葉で語るにはあまりに美しく、まるでギリシア神話の美少年だった」と評している。ただしサー・ショーンはほどなくボディビルに幻滅してしまう。「筋肉量減少を恐れてスポーツになぞ参加しないアメリカ勢のほうがコンテストで常に有利」という現実に気づいたからだ。