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第1特集
サイゾーPremium 特別企画「今こそ“鍋”を考える」

日本の福祉の歴史は救世軍の“社会鍋”に詰まっている!

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(写真/Getty Images)

 クリスマスシーズンの風物詩となっている、救世軍の社会鍋の募金活動を見たことがある者もいるだろう。ターミナル駅の百貨店の前など人通りのある目立つ繁華街で軍服を身に纏い、3本の支柱で支えられた鉄製の鍋を据え、道ゆく人々に募金を呼びかける姿が大都市では見られる。

 その独特のビジュアルや活動などから、どことなく怪しい団体というイメージを抱いてしまう人も少なくないかもしれないが、救世軍は世界各地で社会福祉・医療を中心とした社会活動を行うキリスト教団体・国際NGOである。

 今回は鍋特集ということで、釜ヶ崎で長年、救世軍含む宗教団体の支援活動を研究してきた桃山学院大学の白波瀬達也氏に救世軍の「社会鍋」と、日本の福祉の関係について話を聞いた。

日本の民間社会福祉事業の中心的存在

 キリスト教の信仰を土台に、社会の恵まれない人々に献身することを任務とする救世軍。年末になるとラッパの演奏とともに街頭募金を行う、いわゆる「社会鍋」が共同募金会の「歳末たすけあい運動」と並んで繁華街に出現する。

 この募金を行う救世軍はキリスト教の一教派で、1865年にロンドンのメソジスト派の牧師ウィリアム・ブースが創立した、プロテスタント系のれっきとしたひとつの宗派・キリスト教の伝道組織である。

「当時、近代化がイギリスで進む中で貧困問題がかなり深刻になっていました。特に深刻だったロンドンで貧困問題の解決のために救済活動を行い、キリスト教の布教活動と一体になった社会運動を展開していったのが救世軍の始まりです」

 救世軍は軍旗、軍楽隊、軍服型の制服を採用しており、信者のことは兵士、責任者は司令官、牧師は士官、教会は小隊と呼ぶなど、軍隊組織をとっている点が大きな特徴となっている。

 日本に救世軍が入ってきたのは、その30年後で1895年のこと。救世軍士官14人が来日し、神田の基督教青年館で“宣戦式”を行ったのを契機に、救世軍日本支部が設立された。最初の士官候補生となったのが、後の1927年に日本救世軍司令官に就任する山室軍平だ。

 岡山県の山村に生まれ、16歳にして信仰生活に入った山室は、同志社で学びつつ伝道活動を始め、やがて初代日本救世軍司令官のエドワード・ライト大佐による救世軍活動に関心を抱くようになり、日本救世軍の創設と発展に生涯を捧げることになった。

「当時、日本では社会福祉制度が十分に整っていなかったので、キリスト教系の慈善事業家が大きな力を持っていました。明治から大正、昭和初期にかけて有名な慈善事業家がたくさん現れましたが、彼らはキリスト教の指導者、あるいは熱心な信者であることが多かったんです。キリスト教を背景にしたさまざまな慈善事業家が活躍していた中でも救世軍の場合は組織・教団として、かなり大規模に運動や事業を展開したことで知られています。救世軍の山室軍平という人は日本の社会福祉の礎を作ったような人で、救世軍自体も日本の社会福祉の礎を作っていくような団体になっていったといえるでしょう」

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