(取材・文/須藤輝)
キムチ鍋はいつ、どのように日本で広まったのか?(写真/Getty Images)
寄せ鍋や水炊き、ちり鍋、もつ鍋、ちゃんこ鍋、郷土色の強い石狩鍋やきりたんぽ鍋、芋煮など、日本には多種多様な鍋料理が存在する。そんな中、比較的新しい、しかも外来の鍋料理でありながら、いつの間にか定番となっているものがある。キムチ鍋だ。
このキムチ鍋は、言うまでもなく韓国由来の鍋であるが、どのように日本の食卓に定着していったのだろうか――。
雑誌専門図書館の大宅壮一文庫でキムチ鍋にまつわる雑誌記事を検索したところ、もっとも古い記事は「BRUTUS」(マガジンハウス)の1987年12月1日号だった。その内容は「ロサンジェルスのピコ通り」にある「韓国レストランでキムチチゲを食べた」というもので、理由は「連日のステーキやハンバーグ、バービキューにいささかへきえきとしていた」から。要は、「まだ日本ではよく知られていないキムチチゲをLAで食べるぼく」で二重にマウントを取りつつ韓国料理を啓蒙しているのだが、いち早くキムチ鍋に着目するという点においてはさすが「BRUTUS」といったところだろうか。
また、「毎日グラフ」(毎日新聞社、休刊)88年10月9日号では「韓国家庭の味」というタイトルで「キムチチゲ」のレシピが掲載されている。88年といえば夏にソウルオリンピックが開催された年であり、同記事にも「ソウルオリンピックのおかげで、このところちょっとした韓国ブームだ」とある。さらに、「日本では、韓国料理といえばキムチと焼肉しか思い浮かばない人が多い」と続き、「おいしいキムチさえあれば本格的な韓国家庭の味を手軽につくり楽しめる」とある。
オリンピック効果もあってか、以降、キムチ鍋を取り上げる雑誌記事は増えていく。その内容としては、女性をターゲットにしたものが目立つ。例えば、「COSMOPOLITAN」(集英社、現在はハースト婦人画報社によるウェブ版のみ)88年12月号では働く女性の「手抜き料理」として「キムチ・チゲ」が紹介され、また「微笑」(祥伝社、休刊)91年1月12日号では「5月脂肪(ぶとり)に『チゲ鍋』」と、キムチ鍋を「ダイエット鍋」として位置付けている。
この頃からすでにキムチ鍋には「唐辛子に含まれるカプサイシンという成分には脂肪燃焼効果がある」という惹句が付きものであり、女性誌と親和性が高かったのだ。
ここまでの記事の引用からもわかる通り、キムチ鍋は「キムチチゲ」ないしは「チゲ鍋」と表記される場合がほとんどだ。この傾向は90年代末まで続くが、思うに、当時はまだ外来の鍋料理として一般に認識され、また雑誌側としても目新しい外国(韓国)料理として紹介したいという意図があったのではないか。なお、「チゲ」は韓国の鍋料理を意味するため、「チゲ鍋」は言葉としてはおかしいのだが、語感がいいのか、2000年代後半になっても「チゲ鍋」表記は見られる。
ちなみに、確認できる限り、雑誌で「キムチ鍋」という表記が初めて使われたのは「微笑」91年12月14日号の「ダンプ松本さんのチャンコ風辛々キムチ鍋」だ。これは昆布だしに味噌で薄めの味付けをし、具材を白菜キムチと一緒に煮込み、最後にキムチの素を加えるというダンプ松本オリジナルのキムチ鍋である。つまり、日本向けにカスタマイズされており、よってここでは「キムチ鍋」が用いられたのではないだろうか。