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更科修一郎の「批評なんてやめときな?」【64】

中年陰キャに囲まれたサンデーの哀愁――幽霊、去勢の中で少年マンガを描く。

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――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉

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週刊少年マガジンの話をしていないが、講談社で少年マンガの話題は『転生したらスライムだった件』が売れたくらいなので省略。

 アニメ版『呪術廻戦』は素晴らしいが、映画版『鬼滅の刃』の話題は何を書いても便乗っぽいし、そもそも多忙すぎて観に行く暇もないから書かない。アニプレックスはTYPE-MOONに一生頭が上がらないだろうな、とは思ったが。地味な中堅作品だった『鬼滅の刃』の権利を早々に買い付けたのも、TYPE-MOON周辺の人々が高く評価していたからで、『空の境界』以来の中二病患者向け伝奇アニメ制作や映画興行のノウハウに「週刊少年ジャンプ」作品のアニメ化ノウハウを上乗せした数え役満だからだ。それでなくてもFGOのガチャは打ち出の小槌だが、ゼロ年代に魂を囚われたセカイ系中二病世代からテラ銭を巻き上げ、若い世代のジャンプアニメの肥料にするのはとても健全だ。

 前回は少年マンガで有限の焦燥感に満ちた青春を描く『チェンソーマン』について書いたが、「週刊少年サンデー」にも同じ狙いの作品がある。『よふかしのうた』(コトヤマ)だ。『チェンソーマン』は「異能バトル」を通して思春期男子の不安と女性観の変化を描いているが、こちらは「団地と吸血鬼(のお姉さん)」という郊外的なモチーフを通して描く。こう書くと「ゼロ年代のギャルゲーかよ」と笑ってしまいそうになるが、だったらわざわざ取り上げはしない。

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