――LSD、MDMA、マジックマッシュルームといった幻覚剤。日本ではいずれも違法薬物だが、最近、アメリカの有名大学などでこうしたものの医学的利用を探る研究が進んでいる。そして、さまざまな治療効果が徐々に明らかになりつつある――。これは、ヒッピー時代の“神話”ではない。幻覚剤をめぐる最先端の学術研究である。
原著は2018年に出版されたマイケル・ポーランのノンフィクション『幻覚剤は役に立つのか』(宮﨑真紀訳/亜紀書房)。この本をベースにしたNetflixのドキュメンタリーが制作中。
近年、マジックマッシュルームに含まれるシロシビン、LSD、MDMAなどのサイケデリクス(幻覚剤)の学術的研究の気運が再び高まっている。アメリカの人気作家/ジャーナリスト、マイケル・ポーランによるノンフィクション『幻覚剤は役に立つのか』(原著は2018年刊。邦訳版が20年に亜紀書房より刊行)は、その流れを紹介して「ニューヨーク・タイムズ」紙の「今年の10冊」(18年)に選出され、Netflixでのドキュメンタリー番組化も予定されるなど話題を呼んでいるのだ。
ここでは、従来のように神秘体験をしたといったスピリチュアル話、著名人がオーバードーズ(過剰摂取)で死んだというスキャンダル、ポップ・カルチャーへの影響云々を掘り下げるつもりはない。サイケデリクス“研究”の歴史を踏まえた上で、その最前線を見ていこう。
まずは、LSDの研究を振り返りたい。そもそもLSDとは、1938年にスイスの薬品会社サンド社(現ノバルティスグループ)勤務のアルバート・ホフマンが精製したもので、5年後に彼が偶然吸引して幻覚の効用が発見された。すると、サンド社は世界中の研究者たちに実験のための使用に関して無償提供を始めた。
こうして49年、LSDはアメリカに渡る。精神分析調査研究員マックス・リンケルがハーバード大学付属のボストン精神障害研究所でLSDの研究を始め、100名の志願者にテストした。彼は50年のアメリカ精神障害学会で、LSDが正常な被験者に一時的に精神障害のような混乱を引き起こすと発表。続けて、のちにCIAや米国陸軍とサイケデリクス研究を進めることになるポール・ホック博士が、LSDやメスカリン(メキシコのサボテン、ペヨーテなどに含まれる成分)は統合失調症と同じ症状をもたらすと報告すると、医学界にセンセーションが起こる。カナダの病院に勤務してLSDとメスカリンを研究していたイギリス人精神分析医ハンフリー・オズモンドも、52年にメスカリンとアドレナリンの分子構造の類似性を指摘、統合失調症は肉体が自ら幻覚剤適合性物質を生産した結果に起こると発表し、やはり医学界に衝撃を与えた。これを知った英国の作家オルダス・ハクスリーが自ら実験を志願したことで、エッセイ『知覚の扉』(54年/平凡社ライブラリー)が生まれる。
こうした流れが精神疾患の生化学的基礎に関する重要な論文の発表を誘発し、それが刺激になって脳科学への関心が高まった。数マイクログラムのLSDで精神疾患に似た症状が起こるなら、精神障害の原因は当時自明視されていた心理面の問題のみならず、脳内物質が影響しているのではないか、と。LSDは50年代からの脳科学の発展にも貢献したのだ。
ともあれ、LSDやシロシビンを使った臨床実験をもとに、49年から約10年でアメリカだけでも1000以上の論文が書かれ、4万人に投与された。精神疾患やアルコール依存症に効果があるとの発表が相次ぎ、しかも治癒率・回復率では当時のオーソドックスな治療法や電気ショック、ロボトミー、向精神薬よりも高く、かつ危険性は低いと報告されていた。