――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉
トラウマなのかあまり語りたがらないけど、『キラキラ!』の前作『ホワイトアルバム』は名編集者・樹林伸の初担当連載だった。
『鬼滅の刃』が完結しても『呪術廻戦』と『チェンソーマン』があるから大丈夫だろうと思っていたが、さすがに『チェンソーマン』が8巻で300万部を突破したのは予想外だった。うれしいけど。
「週刊少年ジャンプ」の異能バトル路線は90年代以降、荒木飛呂彦、徳弘正也、尾田栄一郎などの正統派な「人情」の系譜と、冨樫義博の「非人情」の系譜に分岐し、両者の間でそれぞれの倫理を構築している。近年だと『鬼滅』が「人情」派で、『呪術』『チェンソーマン』は「非人情」派だが、復讐劇が爽やかな金玉蹴り大会になる『チェンソーマン』は極端だ。筆者周辺の同世代は苦労人のマンガ家が多いので「人情」派が多く、冨樫義博の技巧は認めつつも蛇蝎の如く嫌っているから、『チェンソーマン』も嫌われているが、筆者は大好きだ。安達哲の傑作『キラキラ!』の匂いが漂ってきたからだ。筆者が泥臭く古臭かった「週刊少年マガジン」を初めて買ったのは安達哲のデビュー作『卒業アルバム』が載った号だが、身も蓋もなく青臭く有限の焦燥感に満ちた青春描写は衝撃的だった。
作者(藤本タツキ)は以前、『無限の住人』の沙村広明と対談しているが、美術教育を経験した90年代以降のニューウェーブ系青年マンガ家から強く影響を受けていることも面白い。特に五十嵐大介や弐瓶勉のビジュアル表現、新井英樹の人物描写からの影響は明確に見えるが、青年マンガの中でも尖った作品群の影響を受けつつ少年マンガのヒット作となったのは、根底に初期の安達哲や冨樫義博のような青臭い焦燥感があるからだ。前作『ファイアパンチ』は初連載の援護射撃で有能なアシスタント陣に依っていたので、少年マンガらしからぬ静的な表現が多かったが、『チェンソーマン』では作者自身のスピード感に溢れた粗いタッチを前面に出し、少年マンガらしいダイナミズムが生まれている。