――21世紀型盆踊り・マツリの現在をあらゆる角度から紐解く!
YouTubeには、東海高校記念祭2020テーマ曲「FESTIVAL」がアップされている。和楽器を用いたEDMな楽曲はSoundCloud上でも公開し、ダウンロードも可能と太っ腹対応!
秋といえば、文化祭・学園祭シーズンである。こうした文化祭も戦後になって全国に浸透した“新しい祭り”のひとつであるわけだが、コロナ禍の今、文化祭にも変革が起きている。今回はその現状をレポートしてみたい。
まず、文化祭の歴史を少しだけさかのぼってみよう。日本における文化祭の先駆けとなったのは、現在の東京都立小石川中等教育学校(当時、東京府立第五中学校)。1921年(大正10年)、初代校長である伊藤長七の旗振りによって同校初の文化祭である“創作展覧会”が開催されている。開催の目的は、生徒の創作意欲をかきたてるため。こうした文化祭が広く行われるようになったのは戦後のことで、全国的に定着したのは1960年代のことと思われる。
学生同士で協力し合い、特定の作品や舞台を作り上げていくという文化祭のプロセスは、確かに祭りの準備と似ている。筆者は極めて暗い学生時代を送ったこともあって、文化祭に対して特別な思い出はないが、大学時代の学園祭は昼間から校内で酒を飲めるとあって、それなりに楽しかったと記憶している。通い慣れた学校の場が数日間だけハレの場となり、多少ハメを外しても許されるわけで、その点もまた祭り的といえるだろう。
ちなみに、筆者が通っていた武蔵野美術大学では、彫刻学科の制作によるガチの男神輿と女神輿が毎年恒例の出し物となっていたが、今もその伝統は受け継がれている。「武蔵野音頭」と「エンヤコラセ」を歌いながら大学構内やその周辺を練り歩く習わしとなっているそうだが、毎年酔っ払っていたので、そんなことをやっていたとは知りませんでした。
少々前置きが長くなったが、そんな文化祭の形も現在変容しつつある。新型コロナウイルスの感染拡大以降、学校教育のオンライン化が推し進められているが、当然のことながら文化祭もまたコロナ禍の影響を受けているのだ。