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萱野稔人と巡る超・人間学【第13回】

萱野稔人と巡る【超・人間学】――少子化問題から見える結婚と孤独(前編)

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――人間はどこから来たのか 人間は何者か 人間はどこに行くのか――。最先端の知見を有する学識者と“人間”について語り合う。

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(写真/永峰拓也)

30年以上にわたって“国難”とされ、さまざまな対策が講じられてきた少子化問題。しかし、出生率は一向に上がらず、人口減少は続く。なぜ日本の少子化対策には効果がないのか? その本質的問題とは。

今月のゲスト
赤川 学[東京大学大学院人文社会系研究科教授]

萱野 今回は『これが答えだ! 少子化問題』(ちくま新書)、『少子化問題の社会学』(弘文堂)などの著作がある社会学者の赤川学さんをお招きし、日本の少子化問題を切り口にして人間の本質について考えていきたいと思います。

 まずは少子化の現状を確認しておきたいと思います。現在、少子化のペースは政府の推計を超えて加速しています。2019年の人口動態統計では国内出生数が過去最少の86万5234人に落ち込みました。1人の女性が生涯に産む子供の数を示す合計特殊出生率も1・36と4年連続で低下しています。20年は新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、さらに出生数が減るのではないかという予測もあります。政府は今年5月に閣議決定した少子化社会対策大綱で、子育て世代が希望通りに子供を持てる“希望出生率”の基本目標を1・8に定めていますが、これまで政府によって実施されたさまざまな対策にもかかわらず、出生数も合計特殊出生率も低下傾向に歯止めがかかっていません。

赤川 日本における人口問題の流れを改めて確認すると、そもそも戦後日本は国を挙げて少子化を“促進”してきました。戦前の「産めよ殖やせよ」から一転して人口増加による危機が叫ばれるようになり、「子供は二人まで」というスローガンが生まれて、産児制限が広まっていったのです。

萱野 団塊世代が生まれた第一次ベビーブーム(1947~1949年)を契機に起きた動きですね。

赤川 それから80年代ぐらいまで、日本は子供を減らす方向に進んでいったのですね。結果として「少なく生んで豊かに育てる」という考え方も定着しました。実際、現在の少子化対策と違い、少子化“促進”対策に日本人は非常に真面目に取り組んだといえます。1949年の合計特殊出生率は4・32、出生数は269万6000人を超えて過去最高となりましたが、その40年後の89年には合計特殊出生率は当時過去最低の1・57まで落ち込みました。少子化が社会問題視されるようになったのは、この“1・57ショック”からです。しかし、実際に生活が豊かになったことで、すでに日本人の間で子供を産み育てることに対するコスト感は非常に高いものになっており、「生活を豊かなものにするために子供の数を減らす」という意識は、戦後から現在に至るまでずっと根強く続いているといえるでしょう。

萱野 それが、少子化対策の効果が上がらない要因のひとつになっている、と。

赤川 基本的に日本の少子化対策は、経済学的なコスト計算に近い考え方で決められています。要は女性が子供を出産しなくなったのは「コストが高くて損をする」からであり、出産を促すためには逆に「ベネフィットがあって得をする」ようにすればいいと考える。この場合のコストや“損”は、たとえば「仕事と出産・育児の両立ができずにキャリアや自己実現を諦めざるを得ない」といったことになります。このコストを埋め合わせるベネフィットを与えましょうというのが、日本の少子化対策です。仕事と育児の両立促進を図る“男女共同参画”や“ワークライフバランス”の実現、待機児童の解消や保育無償化などの“子育て支援”といった少子化対策は、そういった発想のもとで作られているわけです。

現実によって否定された少子化対策の効果

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