――本特集ではYouTubeをめぐる新しい視座や潮目の変遷を見てきたが、人気YouTuberの多くが配信する企画は、かつてニコニコ動画で配信されていたものが多いことがわかるだろう。どうしてこれらは、ニコ動からYouTubeへ移行したのか。本誌連載陣の批評家、更科修一郎が看破する──。
いわずと知れたトップYouTuberのHIKAKIN。(写真/Getty Images)
新型コロナウイルス禍の真っ只中、不要不急の外出自粛を呼びかけるHIKAKINの動画を観ていた。要を得たわかりやすい説明に、さすがはYouTuberのトップランナー、社会的責任を果たしているなあ、と感心したが、同時に00年代の投稿動画初期の混沌からずいぶん遠いところに来たな、とも思った。ピコ太郎はわりと近いが。
混沌といえば、かつてニコニコ動画という動画共有サイトがあった。いや、今も存在しているのだけど、いつの間にかYouTubeや後発のウェブ配信サービスにシェアを喰われてしまい、往時の勢いはない。編集長にも「踊ってみた、ゲーム実況、振り込め詐欺へのカチコミなどは元はニコ生主の企画だったはずだが、YouTubeに流れたのはどういうことか?」と訊かれたが、筆者もゆるいライトユーザーだったから別に詳しくはない。とはいえ、半可通なりに「ニコニコ動画の時代」を振り返ってみたい。
ニコニコ動画は2007年1月にサービスを開始したが、初期の印象は『電車男』ブームでユーザー数がピークに達していた2ちゃんねる(2ch.net。現在は5ch.net)の動画版だった。訴訟沙汰からの2ちゃん閉鎖騒動の真っ只中でサービスを開始したこともあるが、ニコ動を代表する「投稿動画にリアルタイムコメント(弾幕コメント)を流す機能」は如何にも2ちゃんねる的な発想で、運営会社のニワンゴも取締役管理人にひろゆき(西村博之)を迎えていた。そのため、初期ユーザーの多くは2ちゃんねらーで、AAキャラクター(アスキーアート)でしかビジュアル表現ができなかった2ちゃんねるのテキスト文化圏を補完する役割が強かった。実際、当時の弾幕コメントは頻繁にモナーややる夫などのAAキャラクターで埋め尽くされていたので、2ちゃんねらーではなかった筆者はよく面食らっていた。この頃、巨大化した2ちゃんねるの文化圏は文脈が複雑化し、巨大な九龍城砦のようになっていたからだ。
初期の投稿動画サービスは著作権的に未解決の部分が多く、訴訟も多発していたが、初期のニコ動も著作権的に危険なMAD動画が人気を集めていた。一応、二次創作のガイドラインが整備されていた『東方Project』のキャラクターや『アイドルマスター』のライブシーンや曲を用いたMAD動画が多かったが、出自の怪しい映像を加工した動画もよく見かけた。例えば、筆者がよく観ていたMAD動画に「世界でいちばんダサいシリーズ」というのがあるが、これは70年代フィンランドの歌番組の動画のパロディで、映像を『アイドルマスター』の曲とシンクロさせたものや、逆に『アイドルマスター』のライブシーンを再構成し、元歌に合わせて振り付けたりしていた。
筆者は90年代、『美少女戦士セーラームーン』の同人MADビデオ制作サークルに出入りしていたが、この時代のMADビデオはテープの映像素材をジョグダイヤル付きのデッキでコマ送りし、再生時間を計算してダビングで繋ぎ合わせていく、アナログで面倒くさい代物だった。しかし、ニコ動の時代はデジタル化され、加工動画も簡単に作れるようになったので、投稿者も飛躍的に増え、削除されないグレーゾーンを狙ったチキンレースで盛り上がっていた。反面、ユーザーの匿名性が高く、すぐに荒れる土壌も2ちゃんねる譲りだったが。