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写真時評~モンタージュ 現在×過去~

人類学と写真(下)

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画像左:「台湾タイヤル種族男子(桃園庁テーリツク社)」[撮影/鳥居龍蔵]東京人類学会、1912年、著者蔵
画像右:「台湾タイヤル種族男子(宜蘭庁ピヤハウ社)」同

 新型コロナウイルスの感染拡大のペースが急速に早まる現在、いささか旧聞に属するが、欧米諸国における感染者が増加し始めた際、アジア系住民への人種差別もまた、広がりを見せていた。武漢の市場から始まったとされるパンデミックは、コウモリなどの野生動物を食べる習慣が原因になったという噂が巻き起こり、欧米人とは異質な食生活を持つ人々への偏見を再燃させてしまったのだ。

 19世紀から20世紀初頭にかけて、欧米の人類学者たちの中には、その外部の住民の「異質性」を身体的な特徴から理解し、分類しようと試みた者たちがいた。そして、人類学の有用性を説く中で彼らは、「人種」的優劣の判断基準として例えば、脳の大きさや身体の部位間の距離などに着目し、アジアやアフリカの住民に「未開」や「野蛮」の徴を発見しようとした。つまるところそれは、劣位の他者に対する自らの優越性を見いだすことを意味していた。他者の調査を通じた西洋の自己同一性を保証すること、そして欧米諸国による植民地支配の正当化を学問的に補完することが人類学の課題として立ち上がっていくのである。

 1886年の東京人類学会の発足を機に本格的に始動した日本の人類学は、その調査対象を日本(本土)の周辺部に広げていった。人類学者の鳥居龍蔵は、東アジアの広範囲で実地調査を行った探検型フィールドワーカーとして知られているが、その研究地域の広がりは、帝国日本の対外意識の拡大を忠実にトレースしているように見える。例えば、日清戦争直後の95年に遼東半島に赴き、その翌年に下関条約によって割譲されたばかりの台湾で調査を行う、というように鳥居の調査が日本の帝国主義的拡張と足並みをそろえているからだ。

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