――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。
アップデートできないPCはサポートから外される。Windows 7のように。
そのWindowsが日本でお祭り騒ぎになったのは1995年の「Windows95」発売時。“失われた20年”と呼ばれる経済停滞が始まった年だ。
1994年に出したアルバム『LIFE』で耳目を集めた小沢健二が、特に音楽ファンでもない若者たちの間で聴かれ始めたのも、1995年のこと。TV露出が増えて“王子様”キャラが浸透し、小室哲哉や小林武史と同列扱いでカラオケ消費されまくった。
そんな小沢が2019年11月、17年ぶりに発表したオリジナルアルバム『So kakkoii 宇宙』1曲目の歌い出しは、こうだ。
そして時は2020 全力疾走してきたよね 1995年 冬は長くって寒くて 心凍えそうだったよね(「彗星」)
小沢は1998年以降アメリカに生活の拠点を移した。その後は環境問題に基づくフィールドワークに打ち込み、アメリカ人写真家の女性と結婚。現在では2人の息子の父親となっている。
同アルバムは1995年時点で大衆に消費されていた(と自覚する現在の)小沢が、彼にとっての“失われた(約)20年”を総括しつつ、現状を多幸感たっぷりに、かつ大きめの主語で全肯定するものだ。かつて『LIFE』を聴いていた「ぼくたち」に対する、ある種のアンサーソング集でもある。
筆者はこのアルバムを聴き、同郷の進学校でクラスメイトだったS君の顔が浮かんだ。東京で2番目に偏差値の高い国公立大学に現役合格し、カラオケでよくオザケンを歌っていたS君――。
1995年、大学3年生のS君は、オザケンの曲でよく歌われる、多幸感あふれる都会的恋愛事情(の薄皮0・1mmくらいの表層)に憧れ、「仔猫ちゃん」的な彼女ができることを夢見ていた。「いつか誰かと完全な恋におちる」「東京タワーから続いてく道 君は完全にはしゃいでるのさ」「プラダの靴が欲しいの」とかなんとか。
在学中から“成功哲学”を謳うビジネス啓発書を読み漁っていたS君は、国内屈指の大手電機メーカーに就職が決まり、花形部署のひとつであるマーケティング部に配属。同級生からは、「将来は約束されているようなもの」と羨ましがられた。
ところが入社の数年後、傾くはずがないと言われていた日本の電機メーカーが、世界的なIT革命の波に乗れず軒並み衰退していく。
S君はまず、品質管理の部署に異動させられた。人員整理が進んだ結果、「本当に実力のある奴」しか花形部署には残れなかったのだ。その後はコールセンターで派遣社員を統括するチーム長を務め、最終的には長野県の工場でライン管理に就いた。「成功哲学」など何の役にも立たない仕事だ。