――SEEDAが2006年にリリースした傑作アルバム『花と雨』を原案とした同タイトルの映画が封切りとなった。ドラッグディールの細かな描写から、ヒップホップムービーへのリスペクトまで、彼のリアルな生き様が映像として大成した。
(写真/cherry chill will)
誤解を招く表現かもしれないが、自他共に認めるSEEDAの珠玉の名作『花と雨』を映像化することは、一種のタブーなのかもしれない。極めてパーソナルな作品でありながら、嘘偽りなく綴られたリアルなリリック、すでに腕利きであったトラックメイカーのBACHLOGICが全編のプロデュースを担ったことも相まって、当時の日本語ラップ・シーンのクオリティを底上げする揺るぎなき起爆剤となったのは、いまだ記憶に新しい。
ラッパーにありがちな「生まれ育った環境が不遇」でなかったとはいえ、ドラッグディールというイリーガルな仕事でメイクマネーする行為、最愛の姉の死を経て、ラップで成功したいと願うひとりのラッパーの物語が公開となった今、リリースから14年の歳月を経てSEEDAは何を思うのか――。
ヒップホップのカルチャーに精通していないとわかりづらい描写もあるが、どこか長編のミュージックビデオを観ているかのようにまとめあげられているのも特徴だ。
――『花と雨』を映像化しようと思った経緯から教えてください。
SEEDA 何年も前から『花と雨』のムービーを撮りたかったんですよ。僕の世代はディプロマッツ【編註:アメリカのラッパー、キャムロンやジム・ジョーンズ、ジュエルズ・サンタナを擁するヒップホップ・クルー】や50セントとかの影響が強いんで、「ラッパーが映画を制作する」というのがキャリアにおける夢のひとつだった。でも、(映画を)作るお金もなければ、自分の思い描く映像や描写を形にしてくれるようなクリエイターが周りにいなかったんです。それからだいぶ時間が経って、土屋(貴史)監督の作品と出会い、「この監督にお願いしたら自分の理想に近い作品を作れるかもしれない」と思って、そこから具現化していこうと思ったのがきっかけですね。