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萱野稔人と巡る超・人間学【第7回】

萱野稔人と巡る【超・人間学】――「人間の本性としての暴力と協力」(前編)

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――人間はどこから来たのか 人間は何者か 人間はどこに行くのか――。最先端の知見を有する学識者と“人間”について語り合う。

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(写真/永峰拓也)

今月のゲスト
川合伸幸[名古屋大学情報学研究科教授]

人は他者と協力し合って社会を築き、文明を発展させてきた。その一方で、人類の歴史には凄惨な暴力も――。はたして、人間の本性とは? 比較認知科学の研究者・川合伸幸氏と語り合う。

萱野 私はこれまで、人間の社会の中で暴力がどのような役割を果たしてきたのか、という問題を探求してきました。その問題を突き詰めると「人間にとって暴力とは何か」という根源的な問いに行き着かざるを得ません。その問いにとって、川合さんのご著書『ヒトの本性 なぜ殺し、なぜ助け合うのか』(講談社現代新書)はとても示唆に富む書物でした。果たして人間は本性的に暴力的な存在なのかどうか。まずはこの問いに対する川合さんのご意見をずばり聞かせてください。

川合 まず暴力の定義ですが、ここでは「人間が人間に対して行う攻撃」としていいでしょうか。人間は雑食性でずっと動物を狩り、その肉を食べてきたので、それを暴力ととらえると、人間の本質としての暴力の意味は変わってきます。

萱野 ほかの動物を食料のために狩るといった行為は、ここでの議論から除外しましょう。ここでは人間が人間に対して行使してきた暴力について考えることで、人間の本性について迫っていきたいと思います。

原始社会に暴力はなかった!?

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