『トレバー・ノア 生まれたことが犯罪!?』(英治出版)
――今も日本のお笑い界ではたびたび、人種差別的なネタが批判の的になってしまうことがある。スタンダップコメディアンから見た、ギリギリのラインで社会に斬り込みながらも、それを笑いで紡ぐことの難しさとは?
先日、お笑い芸人Aマッソが舞台で披露した大坂なおみに対しての「漂白剤ネタ」が批判を呼んだというニュースは、海の向こうまで伝わっていた。
しばしば日本では、「アメリカの笑いはタブーに挑む」と言及される。確かに劇場でも多くのコメディアンが批判覚悟で社会に斬り込み、そうしたネタが物議を醸すことも珍しくない。
だが、今回の件はそれらとは分けて考える必要があると感じた。というのも、問題の「漂白剤ネタ」は彼女たちが謝罪で述べたように、自身の無知から生じた差別だから。そのネタによって何かを表現したり、一石を投じたものではなく、イノセントさによって「言ってしまった」という印象を受けた。