――「肩の上に見知らぬ女性の顔が!」「雑木林に無数の男が!」「写真に無数の火の玉が!」――トイレに行くことや、ひとりで風呂に入ることにすら恐怖心を植え付けた心霊写真という存在。1970年代中期から始まった心霊写真ムーブメントから早40年近く経った今、その勢いは皆無だ。ここでは、ブームの衰退と現在の心霊写真について考える。
超常現象研究家として“心霊写真ブーム”を牽引した故・中岡俊哉氏。今や誰でも知る言葉となった「地縛霊」や「浮遊霊」といった造語を生み出した人物でもある。
「心霊写真」は、かつて日本中を熱狂させた“超常現象”の代名詞のひとつだったが、昨今はほとんど話題にのぼる機会がなくなった。スマホも含めたデジカメの普及で、誰でも気軽に写真が撮れる時代だからこそ、圧倒的な数の心霊写真が撮影されてもおかしくはないはずだが、そもそも心霊写真が減った理由には「フィルム現像からデジタルに移行」したことが大きく影響しているという。フィルム時代は“撮影ミス”が原因とされる心霊写真が大多数を占めていたというが、デジカメやスマホの高性能さが心霊写真を減少させてしまったのだろうか? いや、しかし――実は我々が見落としているだけで、デジタル写真にも怨念や霊は写り込んでいるのではなかろうか? 本稿ではそんなパッとしなくなった昨今の心霊写真に目を向け、その現在進行形を探る。
『続 恐怖の心霊写真集』(1975年/二見書房)に収められた「これこそ心霊写真」の一部。モノクロだから恐怖感があるのか、それとも霊の自己顕示欲が恐怖心を煽るのか……。
日本には「霊的なものが写ったとされる」写真は明治時代からあったといわれ、1871年に横浜の写真師・三田弥一が撮影した日本初の心霊写真は、「幽霊の映れる珍写真」として1912年の東京毎夕新聞の二面に掲載されている。さかのぼれば大正時代からすでに“心霊写真”という言葉が存在していたわけだが、その言葉が一気に名を上げるのは、1970年代の昭和オカルトブームが訪れてから。当時の日本は高度経済成長期末期で、人々の生活が豊かになり、心にもゆとりができてきたからこそ、オカルトという未知なる好奇心が芽生えてきたのだろう。代表的な例としては、ユリ・ゲラーの超能力によるスプーン曲げをはじめ、UFOやUMAなど、次々と新しいオカルトが花開いた時期である。
時を同じくして、日本の心霊番組の元祖とも言うべき『あなたの知らない世界』(日本テレビ系)が73年から放送され、心霊ブームが幕を開ける。翌年には超常現象研究家・中岡俊哉氏が世界初の心霊写真集『恐怖の心霊写真集』(二見書房)を出版。瞬く間にベストセラーとなり、心霊写真ブームは加速度的に浸透した。その後、中岡氏はテレビの心霊特番などを中心に、一般人から送られてくる心霊写真の鑑定なども行うが、01年に胃ガンを患い他界。そんな中岡氏の実息で、父の仕事を間近に見ていた作家の岡本和明氏に、当時のブームを振り返ってもらう。