――夏といえばリゾートである。沖縄、ハワイ、グアム、サイパン。これらのビーチリゾートには、夏を謳歌する行楽客が大勢訪れる。しかし夏は、まだ74年前の戦争の記憶ともまた、密接に結びついている――。
沖縄では魔除けの意味を持つシーサーの像が、いたるところで目につく。
言うまでもなく、沖縄、ハワイ、グアム、サイパンなどの島々は、いずれも多くの命が奪われた激戦地でもあった。そして今、ハワイ、沖縄、グアムには米軍基地が置かれ、その一方で、ビーチリゾートとしても発展してきたのである。
一体なぜ、激戦地が基地の島となり、やがてリゾート地へと変貌したのか? ひときわ暑い2019年の夏に、戦争について考えるひとつの手段として、リゾートとの関係を見てみたい。
「戦地としての沖縄とリゾートとしての沖縄、その2つにどのようなつながりがあるのかというと、やはり位置が重要な意味を持っているのだと思います。飛行機なら東京から3時間の距離で亜熱帯であるという地理的条件が、沖縄をリゾートたらしめているわけです。しかし同時に地理的条件が、戦前の帝国主義下の日本においては、帝国の一番外側で版図に組み入れられていたという国家にとって重大な意味を持っていたわけですね。そのことを如実に示しているのが、今は歌われなくなった『蛍の光』の4番の歌詞です」
そう解説するのは、『那覇 戦後の都市復興と歓楽街』(FOREST)などの著書があり、立命館大学で教鞭を執る都市研究の専門家・加藤政洋氏である。
明治時代より、小学校の唱歌として歌われた『蛍の光』は、今でも卒業式の定番ソングだが、実は3番と4番は、かなり国家主義的な歌詞であった。加藤氏が指摘する4番では、
千島の奥も、沖縄も
八洲の内の、護りなり
至らん國に、勲しく
努めよ我が背、恙無く
という歌詞で、当時いずれも日本領の端にあった千島列島と沖縄を八洲(日本)の護りであると歌っている。帝国の版図の端は、国家の護りという役割をも担わされていたのだ。