――カメラマン・デザイナー、そして親日家としても知られるアッシュ・ハドソン。そんな彼が自らが体験した日本の“アングラ文化”を詳細にレポート。
Instagram〈djcurtisharmon〉
今みたいにネットで好きな音楽が聴ける時代とは違って、俺がガキの頃の80年代はラジオが唯一の情報源だった。特に最新ヒップホップがプレイされるラジオ局〈KDAY AM 1580〉は一番のお気に入りだった。ロサンゼルスのサウスセントラルにスタジオがあって、最新のヒップホップを流していた。金曜日はロスでもっとも知られているDJが5人出演して、オールナイトでミックスショウを流す。中でもDJカーティスのミックスショウはドープだったし、彼のクラブでのプレイも最高だった。そんなカーティスは90年代に日本へ移住しているんだが、先日初めて彼と会う機会に恵まれたので、今まで聞くことができなかった彼の日本での活動について聞いてみた。
「初めて日本に来たのは90年の夏。熊本のマハラジャに呼んでもらってプレイしたんだけど、一発で日本のことが大好きになった。KDAYでの仕事は自分のキャリアの分岐点となって、それはそれで素晴らしかったんだけど、もはや日本に引っ越したい気持ちを抑えられなくなってしまったんだ」
カーティスのインスタグラムを見ると、現在の写真に混じって90年代の黄金時代の写真の数々が輝いている。その中には六本木で撮影したと思われるドクター・ドレーやスヌープ・ドッグとの写真もあって、ヒップホップを中心とした東京のクラブ・シーンが盛り上がっていたことは容易に想像できる。