――政府からのトップダウンで強化を推し進めている中国サッカー。多額の金を投入し世界中から強力選手を買いあさるその裏には、「中国サッカーの故郷」と呼ばれる土地に住む少数民族たちの奮闘があった。
ホームスタジアムでの応援は、横断幕もハングルと中国語両方だ。
金満主義が染みついた中国プロサッカー界にも「清浄地域」は存在する。資金難に苦しみながらも成績に恋々とせず、フェアプレーを徹底し中国サッカーファンに新鮮な衝撃を与えた「延辺富徳FC」がそのひとつだ。中国北東部、朝鮮半島と接する延辺朝鮮族自治州をホームとし今年の2月まであったそのチームは、その構成メンバーのほぼ全員がコリアン系中国人である『朝鮮族』の選手で構成されていた。また延辺とは中国国内で、公式的に朝鮮族住民による「民族自治」が行われている地域。日本統治時代の旧満州では「間島」と呼ばれており、近代以降の日本とも密接なかかわりを持つ地域でもある。そこに根差した朝鮮族サッカーチームの活躍は、中国における少数民族の多様性を国内にアピールすると同時に、同国サッカーのあり方に大きな影響を与えてきた。
1910年の日韓併合前後に満州に移住し始めた朝鮮人移民は、現在の広州市や深セン市がある中国東南部の広東地域の住民と共に、大陸で最も早く近代サッカーを経験した集団となった。サッカーの流入と普及が早かった地域だけに、この両地域はサッカー中国代表に最も多くの選手を送るほどに。中国サッカー界では、「サッカーの故郷」と呼ぶほどなのだ。
日本帝国統治下の在満朝鮮人社会においてサッカーは、村・学校・地域の行事として発展し、民族的なイベントへと昇華していった。そして新中国の樹立後も、延辺自治州で誕生したチームが、吉林省を代表して全国大会で次々と好成績を収めていき、65年には全国サッカーリーグトップレベルの「甲級連盟戦」で初優勝を果たした。ところが、その翌年から文化大革命が本格化。中国体育界では、サッカーはもとより全てのスポーツが、ほとんど“オールストップ”する事態を迎えることになる。
文化大革命終了後の78年、鄧小平の改革開放宣言をきっかけとして、スポーツにおける対外交流が活発化していく。