――今年4月、「『名探偵コナン』を読み解くと、平成の日本人の姿が見いだせる」と掲げた新書『名探偵コナンと平成』が刊行された。明日公開の記事にも登場してもらう同書の著者であるさやわか氏に『名探偵コナン』が表象する時代性について、話を聞いた。
『名探偵コナンと平成』(コアマガジン/さやわか)
サブカルチャーを通じた時代批評には、『サザエさんの〈昭和〉』(柏書房)という優れた先行事例があります。では、「平成史を語れる作品は何か?」と考えたときにたどり着いたのが『名探偵コナン』でした。というのも、『名探偵コナン』は第1話で「これは平成の話である」と明示しており、その点でも特殊な作品といえます。この事実はネット上でツッコミ要素としてしか扱われませんが、むしろその意味をとらえ直すことこそが批評の役割です。
また、近年の劇場版『名探偵コナン』はパッチワークのようないびつな作品になっています。もはや人が死ぬ必然性もないのに殺人事件が起こり、謎解きパートでは海外ドラマ『シャーロック』を意識したような先進的な映像演出を使い、劇場版お決まりの寸劇や派手なアクションシーンを必ず盛り込むような作劇をしている。ハリウッド的作品とはまったく構造が異なっているにもかかわらず、本作がヒットして日本のエンタメ業界の中心になっているというのは、非常に興味深いです。
そこで改めて『名探偵コナン』を見返してみると、社会反映論としてキレイに読み取れる作品であることに気づきました。
例えば連載当初、主人公のコナンはヒロインに対して「女の子だから守らなきゃ」と言います。それは非常にパターナリズム的で、現代ではジェンダー的観点からの批判につながります。しかし、近年ではむしろヒロインが主人公を守るほど強い女性として描かれるようになっていく。また、巻数を経て登場した女性人気の高い安室透というキャラは、普通に家事をこなす男性として描写されます。このように『名探偵コナン』は連載を続けていく中で、自然と時代性を反映し、読者もそれを支持するようになっていきます。
青山剛昌さんは自身の強みを「ラブコメ」と語っているように、物語の趨勢よりも人間ドラマを描きたいという作家です。そして、ラブコメや人間ドラマを描くのであれば、必然的に男女の性差や個々の人間性の違いを扱うことになります。それが、期せずして現在のダイバーシティを重視する社会の風潮を反映する形になっている。