――「私はとてつもなく大きなものに見放され、置き去りにされているんじゃないだろうか」。患者の問いかけに精神病院の院長はそれが原発や精神病院というこの国の仕組みなのだと答える。昭和、平成と、日本で見放されてきた者たちとは――。
舞台『精神病院つばき荘』のポスター。
「この国、原発、精神病院。知らなくていい、考えなくていい、意見を持たなくていい。そうやって生き延びてきたんですよ、私たちは昔から」
2018年の12月13日から16日まで、今や国外からも酔客が集う新宿ゴールデン街の劇場で、『精神病院つばき荘』という舞台が上演された。
物語の舞台は「つばき荘」という名前の精神病院。40年の長期にわたり入院し、患者仲間のよき聞き役として、病棟内での信頼も厚い患者の高木は、ある朝、院長の山上に呼び出される。院長の話は初め要領を得ないが、次第に本音を明かし、高木にあるお願いをする。今この病院で、一部の看護師が、「原発事故が起こった場合の事故対策、緊急時のローテーションと避難用のバスの確保をするべきだ」と言い始めたが、限られた人員でそんなことができるわけがない。それどころか、この病院が反原発だと見られたら経営上困ったことになる。ついては今日の患者ミーティングで、看護師が患者の高木さんに「原発事故が起こったら避難したいですか。それともここで死にたいですか」と聞くことになっているから、「このままここで死なせてほしい。そのほうが幸せだ」と、そう答えてほしい――と、院長の山上は患者の高木に懇願するのだ。その依頼を受けることを躊躇する高木に対し、山上が口を滑らせたのが、冒頭のセリフだ。
劇中、原発事故対策を言いだした看護師は登場しないが、院長のセリフによると、実際に原発事故が起こったときに、バスで避難中に患者が大勢亡くなった出来事があったことから、遠く離れたこの病院でも万一の時の事故対策が必要だと考え始めたことがわかる。
実はこれには、ベースとなる実際の出来事がある。2011年3月11日の福島第一原発事故の際、原発から5キロ離れた場所にある精神病院と、その病院が運営する介護老人保健施設で、高齢の患者を乗せたバスが6時間をかけて避難先を目指して移動。点滴の管理や痰の吸引などが思うようにできず、水分の欠乏やショックなども重なったことから、移動中と到着後に50人が亡くなったのだ。
原発と精神病院――。この2つこそが、戦後の日本が経済成長のプロセスを経ていく過程で、ある人々やある土地を犠牲にし、そのことに蓋をしてきたという大きなタブーだったのではないだろうか? この2つを並べて論じることは、日本という国家のシステムの背後に隠されてきたものを理解する上でとても重要なことかもしれない。